日本人とグローバルファンド Vol. 9 國井修 氏

  • 2021年1月25日(月)

この記事の掲載日 : 2021年01月25日(月) この記事のカテゴリー : ,



 

1対1の医療から、より多くの人を救うマネジメントへ
― 世界のどこにいても現場に全力を集中する

インタビュー
國井修 氏(グローバルファンド戦略・投資・効果局長)

これまで民間・官庁・大学・国際機関と多様なフィールドで国際保健に尽力してこられ、現在はグローバルファンドの戦略・投資・効果局長として活躍される國井修さんに、学生時代から積極的に海外に足を運び続けるなかで自身の人生やマインドセットを変えた出来事、グローバルファンドへの入職の経緯や戦略・投資・効果局でのお仕事、そしてこれからのビジョンについてお話を伺いました。

 

「単純」で好奇心が強かったから、海外へ通い続けた

― ご多忙な帰国日程のなか、お時間をいただき、ありがとうございます。

毎年秋は、グローバルファンドの成果報告や資金調達で帰国していましたが、今年*は新型コロナで大変です。入国後2週間もホテルで自主隔離。夕方から夜中まで、連日オンラインでジュネーブや世界中とつながって会議や仕事ばかり。あっという間の2週間でした(笑)。

*インタビューは2020年11月10日、JCIEオフィスで行われました。

 

― 先生は医学生時代から積極的に海外で活動され、国際保健にかかわってこられました。

高校生のころ、シュバイツァーやリヴィングストンの本に感銘を受け、地図帳を見ては、当時は暗黒大陸と言われたアフリカに思いを馳せました。こんなところで医者として身を捧げている人がいた、自分もやりたい、と。若者なりに挫折や精神の遍歴があってキリスト教の洗礼も受けましたが、それもシュバイツァーの影響があると思います。

僻地医療を志し、学費のことも考え自治医大を志望しました。入学時の面接で「卒業したら僻地へ派遣されるがいいか」と聞かれ、「アフリカに行きたいのでこの大学を志望しました」と答えて合格したので、夢が実現すると思ったのですが……。実際は自分の出身地、私の場合、栃木県の僻地しか行けないんですよね(笑)。

でも、私は単純で好奇心が強かったので、医者になってからと言わず早く海外に行きたくて、バイトでお金を貯めては夏休みや春休みに出かけました。まだ1ドルが240円の時代です。インドシナ難民が問題になっていて、タイ・カンボジア国境の難民キャンプ、そしてバンコクのスラム街へ。ついでソマリア難民問題が起こり、ボランティアで働いてみたい、と。思いに任せていろんなところへ行きました。

ネットもない、国際電話もなかなか通じない時代ですから、アポなしでもともかく現場へ行く。自治医大の教授に紹介状をもらってバンコクの大学教授のところに行ったら、「あんな危ないとこ(スラム街)へ行っちゃダメだ」。しょうがないから一人で出かけて、スラム街で生活改善や教育活動に取り組んでいるNGOにお願いしたら、「ああいいよ」とスラム内に住まわせてくれて。そうやって自分の経験や人脈を広げていきました。自らマラリアやコレラにもなりましたが、それもいい勉強です。医者として実体験が積めるじゃないですか(笑)。行けば自分にすごく合っているので、もっと深く現場でやりたい、と。

 

― すでに先生のお人柄がうかがえますね。学生のころ自分の人生を決めたな、ということがおありでしょうか。

いま話したタイのスラム街、ヨガと伝統医学を勉強したインド留学、アフリカのソマリア難民キャンプ、この3つは自分のなかでは大きかったですね。

タイは「貧しい人を助けたい」と意気込んで出かけたら、そこはとても賑やかで楽しそうな長屋暮らし(笑)。たしかに臭くて汚くて、子どもたちはドブを走り回り、おかみさんは井戸端会議。そこで飲料水の汚れを調べたりウンチをもらって寄生虫調査したりしましたが、知らない人が私を呼びとめ、飲み物と焼き鳥をくれたんです。どうやら物乞いと間違えられたみたいで(笑)。でも、人間の温かさとか、精神的な豊かさや強さとか、いろんなものを教わって、物質的な貧しさが精神的な貧しさではないのだと、自分のマインドセットが変わりました。「彼らを救いたい」なんて驕りだと悟りました。そんな気持ちだけだったら、途中で挫折して続いてなかったかもしれません。

アフリカの難民キャンプは、行くのも大変なソマリアとエチオピアとの国境地帯。多少の薬があってもすぐに底をつき、それまで勉強してきた医学はあまり役に立たない。治療よりも予防、薬よりも栄養と安全な水がなにより必要でした。医者というだけでは多くの人命は救えない。栄養、水、環境衛生など、医学以外にもっと自分は勉強しないといけないと思いました。

ソマリア紛争被災民キャンプでの診療(國井氏ご提供)

インドには医学生時代、1年休学して、アーユルヴェーダという伝統医学を学びに行きました。じつは最初はアフリカで農業やろうか、または世界を旅しようか。卒業して医者になっても人間的には未熟、世界のことを何も知らない。もっと世界のことを知りたいと考えたんです。でも授業料免除の大学なので休学には大義名分が必要で、いろんな経緯があって最終的にインド留学になりました。でもこの伝統医学、勉強してみたらかなり面白い。

インド留学時代のヨガの実践(國井氏ご提供)

体、心、食事、環境など全体としての調和が健康の増進にも重要なんです。毎朝早く起きて沐浴、そしてヨガと瞑想。精神世界にも浸りました。いまもヨガは僕の日課で、精神的なレジリエンスはこの時かなり鍛えられました。紛争国で生活しても、職場で相当なストレスを受けても結構大丈夫。インドに感謝です(笑)。

 

「どこにいようと、いま・ここに全力集中せよ」とマザー・テレサに教えられた

― そのインドでマザー・テレサに諫められたとうかがいましたが。

会いたいと当時マザーが働いていたカルカッタ(現コルカタ)にボランティアに出かけました。彼女に会って、「マザーのように人を助ける人間になりたい」といったら、まずはしっかり勉強しなさいと言われました。正直肩透かしだったんですが(苦笑)、その後、夢をもちながらも浮き足立ってはいけない、現在を直視し、大切にして、努力せよということだな、と悟りました。そもそもどんな場所にいようとも、どんな状況にあろうとも、現実というか今に全力を集中すべし、とマザーの言葉で気づかされたのです。これはいまでも私のいわば座右の銘のようになっています。

 

― とおっしゃいますと。

人間、どんな職場や職業についても、100%満足できる場所なんてない。むしろ不満が出るのが人の常です。だから私は環境のせいにしないで、いま勉強できることを学ぼう、ここでできることをしよう、そう思ってきました。
国立国際医療センター(当時)に勤めていたときには、個人の希望もおかまいなしで、世界中いろんなところに派遣されます。どんな仕事でも喜んで受ける、やるならベストを尽くす、特に自分の中で小さくてもいいから目標を決めて、一歩でも前進することを意識しました。少しでもクオリティの高い成果を出そう、現場に有益になる仕事をしよう、と。

たとえば、バングラデシュで竜巻災害の緊急援助に行く。通常、現地で患者さんの治療をして帰ってくればいいのですが、事前に調べてみると、途上国での竜巻災害やその問題解決に関する情報がほとんどない。なぜ竜巻で短時間にこれだけの死者や重傷者が出たのか。将来、同じような竜巻が発生した時、死亡率や受傷率を下げる方法があるのか。いろんな疑問が湧いてきました。現地で調査してみると、屋根を葺いたトタンが飛んで死んだりけがをしています。しかし、村人は竜巻が去った後、またトタンで屋根を葺いていた。竜巻発生時の行動なども調べて、受傷を回避できる方法、予防策などを考え、竜巻被害の多い米国などの調査研究も調べました。米国では地下室やトイレなど構造がしっかりしたところへ逃げろとありますが、バングラデシュの農村はすぐに吹き飛ぶ粗末な家。唯一コンクリート造りの小学校に逃げ込んで、それが竜巻で壊されて多く亡くなっています。

竜巻で破壊された学校。村唯一のコンクリート製建物だったので、多くの人がこの中に避難し、その結果重篤な被害となった(國井氏ご提供)

聞き取りや現場の状況などの調査から、家の中に人が寝て三方向が固定されるような小さな溝を掘って、通常は物置きなどにしておき、竜巻が来たらそこへ身を潜めて受傷を避けることが有効で、実践可能な対策だとわかりました。データや提言を現地へ置き土産にし、同時に英文で医学雑誌に投稿して、似たような場所で災害対策に役立ててもらうため情報発信もしました。
そんなことを国内外で積み重ねていた結果、いつしか論文も増えて医学博士号も取得できた。大学の客員講師などにも呼ばれるようになって……。そこは一石二鳥(笑)。

 

― 先生のご経歴は、医学博士や大学教授や現職も含め、歴々たるものがありますが、失礼な言い方ですが、べつに計算してそんなキャリアプランを練っているわけじゃない。

人間、下手な計算をすると逆に失敗することもあります。私は若い時、人生80年のキャリアプランを作ろうとJICAやWHOなどで活躍した先達を講師に招いて、数人の若者で自主的に集まってワークショップをしたことがありますが、それ以外にはしっかりしたキャリアプランを作ったことはないし、そのプラン通りに動いたわけではありません。いろんな出会いや偶然のなかで、資格を取ったり、職場を変えたりしてきました。

インタビュー中の國井氏

教授になりたいと計画をたててがんばる人も多いと思いますが、僕自身は別にそのつもりはありませんでした。現場のニーズや自分の興味・関心に任せて調査・研究をしていったら、その先にそんなキャリアもあったという感じ。指導教官がいたわけでもなく、ほぼ独学。でもお世話になった先生は多くいます。尊敬する専門家がいたら直接会いに行って教えを乞いました。

大学卒業後、国内外で20回以上引っ越しをしていますが、キャリアプランをしっかり練っていたというよりは、キャリア・ドリフト、つまり漂流していた感じですね(笑)。

 

― 先生の個人ホームページを拝見すると、取材記事や出演動画が満載されて、セルフブランディングにたけた野心的なかたなのかな、と一瞬思いました(笑)。

いやぁ、あのホームページは学生が僕のことを知りたいのにアーカイブがないからと、作ってくれたんですよ(笑)。私はあまり自己PR好きじゃないんですが、頑張ってくれて……なんだか面映い(笑)初めて出版した単著も、私が看護師の雑誌に連載していた記事を知人が読んで、出版社につないでくれたんです。セルフブランディングにはあまり関心ないし、そういう意味での野心家ではないのですが。上昇志向が強い男に見えますかねぇ、まいったなあ(笑)。

ただ、本を出版したりホームページを作っておくと、中高生から退職された人まで、見ず知らずの方々から感謝や激励の言葉をいただくんです。本を読んで医師や看護師を目指しました、なりました、なんてメッセージをもらうととくに嬉しいですね。ずっと海外にでずっぱりで母国に何も貢献していないという後ろめたさがあるので。

― ホームページには資料がたくさん掲載されていたので、先生を知りたいというかたにはきっと役立つと思います(笑)。

 

組織マネジメントが僕の「現場」

― グローバルファンドに移ってからのお話をうかがいたいと思いますが、戦略・投資・効果局長とはどういうお仕事でしょうか。

文字通り戦略を作って、投資の効果を上げる仕事ですが、もとあった部署をグレードアップしてできた局です。

じつは僕、現場にいたとき、グローバルファンドは好きじゃなかった—-こんなこと言っちゃいけないけど(笑)。確かに大きな問題だけど、エイズ、結核、マラリアの対策だけにズバズバお金をつけている。現場にはいろんな保健医療課題があって、僕の前職のユニセフなら、母子など一番死の危険にさらされている人たちへ向けて、現地それぞれの状況に応じて総合的に取り組むわけですが、そこへグローバルファンドのエイズ、結核、マラリア対策のための資金が入ると、現場の人材やNGOがそっちへ流れたり、ほかの病気や課題が置いていかれることがある。

ですから、以前はグローバルファンドの幹部ポジションに応募しないかと勧められても関心を持たなかった。でもこのポストへの応募を勧められたとき、その役割、任務には関心を持ちました。というのも、グローバルファンドの戦略を変えられるかもしれない。特に、3大感染症だけでなく、ヘルスシステムを強化するとか、人権やジェンダーの課題に取り組むこともできるならおもしろい、グローバルファンドの外で文句をいうのではなく、中で改善、改革したいと思いました—-倍率、ハードルが高いと聞いていたので、正直言って受かるとは思ってなかったですけど(笑)。

― でも、みごと選考を突破され入職されます。この組織のユニークさはどういうところにあるでしょうか。

中に入って驚かされることがたくさんありました。以前、働いていたユニセフは、国連の中でも現場に近くて、NGOとも一緒によく協力しますが、グローバルファンドはまさに現場の人々の声を集めて、いろいろな人の思いで作られて、運営されている組織です。HIVに感染しても薬も入手できなかった患者さんや、アフリカに薬を届けたいと思っても高価な薬になすすべがなかった支援者たちから、故・アナン国連事務総長をはじめ国際社会のリーダーまで、さまざまな人の想いや情熱が、2000年のG8九州・沖縄サミットや翌年の国連エイズ特別総会などを通して政治的機運を高め、グローバルファンドは生まれました。だからみんなが「われらがグローバルファンド、Our Global Fund」と呼んでいます。ドナー国、実施国、民間企業・財団、NGO、当事者組織、みんなが資金調達から各国での事業計画や実施まで、主体的に参加、協力しています。われわれ事務局はそれをささえる公僕のようなものです。みんなの思いが強くて、事務局にはさまざまな意見や提言が寄せられるので、その実行や調整も大変なんですけどね(苦笑)。

 

― そのグローバルファンドを、先生は「世界最強組織」と呼び、ご本を書いていらっしゃいます。

世界に「ベスト」と呼べる組織があるかどうかわからないですが、ベストに近づけるために学びや教訓を反映してつねに進化していて、イノベーションを模索し、他組織・機関とのパートナーシップを戦略的に展開している点では抜きんでた組織です。誰のための組織や事業か、現場のインパクトや、人命を救い感染者を減らすことをどうやったら最大化できるかと、いつもそれらを中心に考えていて、国連機関にあるような政治的かけひきや官僚的な手続きなどにあまり時間や労力を使わない。最終的なミッション、目標達成のためにどうしたらいいかにいつも立ち返って、ガバナンス、ポリシー、オペレーションのメカニズムも、かなり洗練されていると思います。うちのスタッフにはこれまで国連や政府で百戦錬磨で働いてきた人もいますが、民間企業やコンサルティング会社、弁護士や金融から転身した人も多い。さまざまな視点、考え方、アプローチをもっているので、いざという時の問題解決が速いです。つねに進化し続けているので、毎日が学びです。本当に面白い、というかスゴイ組織です。でも、この『世界最強組織の作り方』は出版社がつけたタイトルですからね(笑)。

 

― ご本を拝読し、マネジメント論のダイジェストのような感想をもちました。グローバルファンドはこのマネジメント論どおりうまく運営されているものなのでしょうか? なんだかビジョンとかミッションとか、作文ばかりのような気もしました。

マネジメント論の理屈通りに運営できる組織なんてないと思います。ただ、理屈を知っているかどうかは大切で、知らないために失敗している組織も多いです。ビジョンやミッションは作文に見えても、組織として共有する大きな夢や使命があるかどうか、それを言語化することは必要です。それらにどれだけ本気で取り組むか、息吹を吹き込むかが重要。グローバルファンドでそれを強く感じましたね。

そして、その取り組みにマネジメントは必須。民間ではいかに利益を上げるか、サービスを広げるか、成果を重視して、投資効果も考えますよね。過去のさまざまな組織の成功や失敗から導かれたマネジメントの理論や手法がある。公的組織や公共サービスでも有用なものですが、十分に取り入れていない。グローバルファンドでは調達した資金を使って、人命を救う、感染者を減らすというリターンを狙うことを投資と考えています。その投資効果を上げるには、どんな戦略を作って、ターゲットやマイルストーンを決めて、リスクマネジメントや人事管理をしていくかといった組織の動かし方をまとめました。

今回書いたのは、組織の作り方、動かし方で、現場の生の話は書く時間も紙面もありませんでした。組織運営だけでも、初校の段階では500ページ分あったのを、300ページにまで減らしました(笑)。Amazonの読者レビューには、最前線の現場で実際に感染症と闘っている人たちの顔が見えてこなかったという不満もありますが、僕はそのつもりで書いてない(笑)。僕は現場でも働いていましたが、ただ汗をかくだけでは世界の課題は解決できない。目標設定やKPI、つまり重要業績評価指標の設定や測定、資金調達、パートナーシップの具体的なメカニズム作りとか、国際機関を動かす組織運営や組織論はとても重要なのに、それについて書かれた本が日本にはあまりないんですね。だから書いてみました。

― そうした組織論やマネジメントに、もともとご興味があったのでしょうか?

中学、高校時代に生徒会をやってたので、その頃から組織や人を動かすことに興味はありました。大学時代はアジア医学生連絡協議会(AMSA)という組織で国際会議や交換留学、フィールドスタディなどを企画運営し、学生レベルの活動ですが、とても勉強になりました。将来は日本に国境なき医師団(MSF)のようなNGOを、アジア人同士で培ったヒューマンネットワークを基に作りたいと、よく夢を語り合いました。それでできたのがAMDA(設立時名称:アジア医師連絡協議会)。卒業後、日本の病院や僻地診療所で働きながら、AMDAを通じてバングラデシュのロヒンギャ難民やソマリア難民支援などにかかわりました。資金調達や人集め、医薬品調達などのロジ、リスク管理などもやりましたが、自分の経験や知識不足を感じましたね。

日本にはまだNGOが育っていなかった時代で、市民からの寄付もそれほど集まらず、ゆうちょの国際ボランティア貯金から補助金200万円もらえたといっては喜んでいました。あとは自腹を切って……まさにボランティアです。

学生の時(80年代)、フィランソロピー、慈善事業の国際会議がトロントであるというので参加したんです。いろんなNGO、NPOの紹介や展示用のブースもあって、世界には本当に多くの民間組織があるんだなあと驚きました。ファンドレイジングの仕方や助成金申請書や報告書の書き方、プロジェクトマネジメントの方法などの本や資料もたくさん並んでいて、まだコンピューターが普及していない時期なのに、支援者名簿からダイレクトメールの宛名ラベルを作る機械まである。目から鱗。欧米では当時からNPOが社会で活躍していて、NPOを支えるNPOもいくつもある。寄付だけでなくて、運営資金を賄うための活動や投資をして多くの利益を出している組織もある。日本は遅れているというか、きちんとしたNPOを育てないといけないと思いました。だから、日本でNGO活動に没頭した後、アメリカの公衆衛生大学院に行って勉強したり、そこでNGOの活動を学んだり、マネジメントの本を読み漁ったりしました。時間と資金があればMBAコースにも行きたいと思ってました。

最終的にはNGO活動だけでは満足できずに、JICAや外務省、大学、その後、国連と渡り歩いて、今のグローバルファンドにたどり着いたわけですね。現場が好きなんですけど、よりインパクトのある仕事をしたい、現場を変えたいと思っていたら、最終的に現場を離れて組織運営が僕の仕事になりました。現場で医者として患者を診れなくて寂しいと思う一方で、マネジメントという「現場」の大切さや面白さも知りました。感染症という地球規模課題を解決するために、どのように組織を動かすか、資源を動員するか、限られた資源でインパクトを最大化するか。とてもダイナミックで、臨床にはない面白さがあります。

 

海外から見て、日本はいつももったいない

― 先生はいろいろなメディアにも登場して、国際保健の課題について発信されています。日本向けの発信と海外向けの発信とでは異なると思いますが、日本向けで意識されることはありますか?

自分は長らく日本を離れて、母国に貢献してないという「負い目」があるので、情報発信などで貢献できるならと、日本からの取材依頼、出演依頼はできるだけ受けるようにしています。講義をしている大学で、学生の進路相談があれば、その人の本気度を見た上で応じています。

海外から見ていると、日本はもったいないと思うことが多々あるのです。技術力、応用力、おもてなし力、世界的に見て秀でたものがありながら、発想が内向きだったり、世界の変化やニーズについていけなかったり。ガラパゴス化といわれますが、現実にそう見えます。それを政治や政府のせいにする人も多いようですが、産学官民、すべてが世界の変化や進化についていってないように見えます。日本はどんどん取り残されていく。コロナ禍でもその対策におけるIT利用や情報発信などで、世界的に見た日本の遅れは明らかでした。だから今回のように日本に帰国した際には、私の海外での経験や国際的な動きを伝えながら、日本に対して感じる私の違和感や危機感を率直に伝えています。

 

― 今回も政治家や有識者の人たちに、かなり厳しい言葉を飛ばしていたそうですね。

政治家にも同様の危機感を感じている人も多いので、日本の現在、将来を真剣に議論して行動にうつさないと大変なことになるという思いは率直に伝えています。

ただ、永田町や霞が関だけでは社会は変わらない。むしろ産学民が日本を変えるのは自分たちだという意識が必要です。さらに若者。彼らに立ち上がって行動してほしいんです。日本の若者の内向き志向がとても目立ちますね。若者を対象としたJPO(外務省派遣で、国際機関で勤務する経験プログラム)も受験者が少ない。昔に比べて海外留学も大して増えていない。商社でさえ、できれば国内で働きたいという新入社員が多いと聞きます。驚きです。若い人はもっと海外に出ていって世界で闘ってみたらいいのに。国際貢献するにしても、日本国内で働くにしても、世界を知った人、日本や自分の小ささを知った人とそうでない人では、その後のマインドセットや成長の仕方、行動力に違いがでます。

― 最後に、これからのビジョンをお聞かせください。

若い時の夢は単純で、アフリカで医者として働くことでしたから、一応それは果たせたのかな、と。現在のグローバルファンドでの仕事も、とても楽しくて遣り甲斐もある。ただ、自分は欲張りなのか、ほかにやりたいことがたくさんあります。

若い時、自分のライフワークにしたいことが3つありました。ひとつはもちろんグローバルヘルス、アフリカを含む途上国で命を救う仕事。2つめは地域医療。僻地医療や地域医療をグローバルレベルでもう一度見つめなおしたいという気持ちがあります。

3つめはターミナルケア、終末期医療です。これは自分の宗教観、哲学にも通じるんですけど、医療の目的のひとつに、いかに尊厳ある死を迎えさせるか、というのがあると思っています。学生時代、日本国内外のホスピスを訪れたり、死生学の勉強に夢中になったこともあります。ヨガや瞑想もし、昔から宗教や哲学で悩んできたので、今後、自らの「死」を見つめながら死生学を深めたい思いがあります。

やりたいことが多すぎて、今でも時間が足りないと思いながら生活しています。体力と知力をキープしてあと50年くらい生きたい。欲が深いね(笑)。でも、いつ死んだとしても、死ぬ間際に「自分の人生は楽しかった」って言える人生にしたいですね。やはりマザー・テレサから学んだ、現在を大切にして全力を集中する、そして感謝することを今後も積み重ねていきたいなと思います。

 

インタビュアー
FGFJ レポート編集協力エディター
永易 至文

 

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