日本人とグローバルファンド Vol.7 永井真理氏

この記事の掲載日 : 2019年12月23日(月) この記事のカテゴリー : ,



国際保健の現場と上流を往還しながら

 

インタビュー 永井真理氏(国立国際医療研究センター  国際医療協力局 国際連携専門職・医師、グローバルファンド技術評価委員)

国境なき医師団、NCGMでの途上国保健システム強化支援、WHO、セネガル保健省官房顧問など、国際保健の現場と上流それぞれから途上国医療に携わってきた永井真理さん(国際医療研究センター国際医療協力局 国際連携専門職、グローバルファンド技術評価委員)に現地医療のおもしろさや悩み、保健システム強化支援の内容、そしてグローバルファンドとの2度のかかわりについてお話を伺いました。

 

風に吹かれて医師へ、そして途上国医療の現場へ

 

― きっと何度も聞かれてきたことでしょうが(笑)、まず医師になった経緯から教えてください。

あまり高尚な理由はないんです(笑)。私の母は専業主婦でしたが、ずっと自分の人生や結婚生活に疑問をもっていた人で、私はつねづね女も自分で収入が得られる職業につきなさいと言われてきました。女で収入が安定というと、医者か教師。それで、とりあえず医学部へ入りました。私は元来、国語や歴史が好きで、早稲田の文学部も一緒に受けたんです。本当は理系の人間じゃないという思いもあったし、エジプト考古学に興味がありましたから。でも、考古学はあとから自分でも勉強できる、医師免許は一人ではとれない。それで医学部へ行ったようなものです。

父は企業勤務の研究者でしたが転勤族で、私も一所定住が性に合わず、大学も家から遠くに行きたいと思って仙台へ。医者になるときは、東北とは違うところへ行きたくて国際医療センターへ。もちろん医師としてまずは一人前にならないと、と思いましたし。

 

― そこから国境なき医師団(MSF)へ行かれますね。

そこも深く考えてない。数年ごとにどこか違うところへ行きたいという放浪癖がありまして(笑)。研修医はやはりお給料が少ないのですが、旅行好きだがカネもヒマもない。おもしろい旅行先に人のお金で行く方法はないかなと考えて、そうだ、国境なき医師団だ、と。すみません(笑)。先輩で参加した人がいたので、身近にも感じていました。

 

― でも、それがいまにつづくお仕事の基礎になります。

先端の高度医療とかにはあまり関心がなく、患者さんのそばについていろいろな話で患者さんの気持ちを楽にしてあげたい、看護師さん的な仕事が好きなんですね。診断や処方、侵襲的な処置をするのも大事ですが、ずっと患者さんの横にいてあげるのが好きで、大きな病院にずっといるのは向いてないのかなって思っています。

村々の伝統的産婆さんから村でのお産について話を聞いた時の様子。(写真中央が永井氏)

最初に行ったスリランカでのチームは5人で、リーダーはフランス人の看護師、外科医はフランス人、あと1か月ごとにいろんな外科医が来て、手術室看護師のドイツ人、ロジスティックはロシア人、そこに私が内科医で。おたがいたどたどしい英語でコミュニケーションとるのがおもしろかった。ドイツ人の手術室看護師は45歳で、はじめて海外で仕事をする人で、彼女も英語はできなくて、ふたりで辞書引きながら会話しました(笑)。ほかのフランス人とロシア人はフランス語ができるので、仏語メインのなかに私たちが英語で入るような。でも現地スリランカの人の英語は早口で訛りがきつくて、電話をとるのが怖かったですね。

MSFは1年単位なので帰国しましたが、自分でもこの仕事に熱中できて、また行きたいと思って登録しておいたら、今度はアフガニスタンから避難してきた人の支援のために、イランへ行く機会をもらいました。

 

国境なき医師団で知った現地医療のおもしろさと悩み

― 旅行気分がだんだんマジになり、パブリックヘルスを志して留学もされます。

スリランカでは、すぐ熱が出たり疲れやすいという患者さんがいて、栄養指導のつもりで「卵を食べればいいですよ」と言うと、その人が涙をこぼして「卵は高くて買えない」。私、そういう現地の状況にぜんぜん無知だったんですね。そして何度も同じ人がおなじ症状で戻ってくるのです。

診療所がある村への道(アフガニスタン北部)

最初は患者さん一人一人を診て満足していたのですが、これだときりがない。もっと広くこの人たちを助ける方法はないか、状態をよくする方法はないかと考えたら、それがパブリックヘルスだとようやく気づき、この分野では定評のある米国の大学へ留学することにしました。いろいろ相談に乗ってくれていた人が、その卒業生だったこともありましたし。

 

― そのまま現地の医療者になるという道ではなく?

土造りの村と診療所(アフガニスタン北部)

2度赴任したなかで、一対一の医療では限界があると、スリランカでぼやっと思い、イランで本気で思いました。イランではモバイルクリニックの医師として、アフガニスタンから避難してきた人たちを直接診察するほかに、現地裁量で使える予算のついたプロジェクトマネージメントもやりました。癌の人、心臓病の人、ワクチンの必要な子ども、いろんな人がいて、でも予算には上限があり、これをどう使うかが難しかった。効率をいえば、たとえば全額をワクチンに投じて予防効果をあげることもできる。でも同時に、目の前に手術すれば治るような、早期癌の人、心臓病の人もいる。その人をテヘランの病院へ治療のために送ったら(イランの都市部は医療も発達しています)、予算の3分の1を一人に使うことになる。どういう決断をしても迷いが残る。なにを根拠に決断したらいいか、パブリックヘルスを勉強すれば見えるのかと思ったのですね。

 

― 留学して、解決策は見えましたか。

留学先の修士号授与式で同級生たちと(写真左から2番目が永井氏)

大学院構内のカフェで授業のグループワークをしている様子(写真手前が永井氏)

見えません(笑)。というか、みんなそこに悩んでいるんだな、というのがわかりました。いろんな考え方、やり方を学んだのですが、白黒の正解はないんだとハッキリわかっただけでもよかった。答えのないなかでベストを尽くせばいいんだ、と思いました。

 

保健システム強化の支援って、どんなことするの?

― 留学後、名古屋大助手をへて、2006年に医療センターへ戻り、国際医療協力局へ入りました。保健システム強化では、どういうことに携わっておられるのでしょう。

いろんな国でいろんなことをしているわけですが、一つには僻地に医療者がいない問題にかかわっています。ケアを受けたいとき受けられる場があり、信頼できる医療者がいることが目指すことでも、やはり僻地に配置された医療者には、多くの場合、行かされている感が残る。では、患者も医療者もどうすればハッピーになるか。たとえ、ある年に目標数の医療者をそこに配置することができても、翌年だれもいなくなってはしかたないですね。そうならないためにどうすればいいかを試行錯誤しています。

たぶんそれって、「患者中心の医療」をどう構築するか、という問題でしょうね。患者がいて、家族やケアにあたる人がいて、医療者がいて、そこに必要な器具や薬があって、貧しい患者だったら治療費を他で補う制度があって。そういう仕組みが、保健システムです。だいたいが、その仕組みのどこかは弱いので、そこを支援するのが、保健システム強化の専門家です。

 

― 現地の人に、そのノウハウがない?

いえ、現地にもそういうことを考えるプロはいます。明日から出張に行くアフリカのキンシャサ(コンゴ民主共和国の首都)では、フランス語圏諸国の人材局の局長さんネットワークとの会議をやります。

セネガル保健省官房顧問時代、マリとの国境沿いの村で住民代表やNGOと意見交換をする様子

彼らは最初、日本のJICAが研修に招いた人たちで、その後、現地でネットワークを作り、ときどき私たちにアドバイスを求めてくるんですね。その人たちは人の配置やノウハウは、私よりずっとわかってらっしゃる。私はそれをちょっと引いて客観的に見て、コメントをする役目です。いろいろな国を見てきた経験から、彼らの話にさまざま疑問をなげかけ、気づきのきっかけになれば、と。あとは彼らが自分で答えを出します。

― 明治の御雇外国人のように、なにか先進システムを丸ごと移植する役目というわけではないんですね。

それは無理です。でも、私自身はこうした、裏で土台を支える仕事がとてもおもしろい。日本政府もさいわい保健システムを強化する国際協力には積極的なんですが、それをやっているとお金がいくらあっても足りないでしょう。

セネガルでの任期終了時にアワ・マリ・コルセック セネガル保健大臣(当時)から保健省のシンボル(ハートと蛇)を贈呈されたときの写真

だれでも保健システムという土台への支援は大事だとは言いますが、ワクチンや治療薬の支援に比べると、投資額に対する実績が数値で見えにくいので、多くの財団や先進国はやりたがらないのです。今年は何人救いましたと言えないと、お金は出しにくい。

私自身は「地べた」での仕事が好きなんですが、厚労省に出向したり、セネガルでも保健省の大臣官房のアドバイザリーをするなど、「上層部」のお仕事をさせてもらったこともあります。国境なき医師団での経験と同様で、一対一の医療では足りないと思ってパブリックヘルスを学び、郡や県レベルで取り組み、でも「決まりごと」はもっと上で決まるので国レベルのアドバイザーになる。そうするとまたできることが広がったり課題が見えたり……。グローバルファンドは、その国の上というか外にあって、現地国にもさまざまな影響を及ぼしていますね。

 

― グローバルファンドの話はまたあとでうかがうことにして、しかし、そうやって途上国の現場と川上とを行き来しながら仕事をされるわけですが、途上国の現場の矛盾や困難とされる状況は、日本国内の医療現場にだって存在しています。なぜ途上国医療なのでしょう。

私もじつは最近どうなんだろうって思っているんですよ(笑)。東日本大震災のとき、医療センターのプロジェクトで宮城県へ支援に入りました。長期支援をどう組むか、現場で向こうの保健師さんらと話し合ったり、県庁や市役所や避難所を回ったりして、これって途上国でやった仕事とおなじだな、と。そこではじめて自分の仕事が途上国に限るものではない、日本も同じで、ただ通訳がいらないだけ、と思ったんですね。ただ私の弱みは、日本の国の仕組みをあまり知らない。

 

― いずれ日本に足場を移す?

いますぐそういうことをする予定はないですが……、そこは風に吹かれてですね(笑)。私の知り合いでも国際保健の仕事をしていたけど、いまは日本の地方の保健所で勤めているかたもいますし、その逆もいます。このあいだの台風(19号)でも、避難所でホームレスのかたが断られたり、そもそも避難所の仕様自体もひどいものだし、途上国の難民キャンプのほうが、国際基準があるだけよほど立派だったりします。日本は災害が多いとわかっているのに、そんな「保健システム」がなかなか強化されていきませんね。

セネガル保健省で、官房顧問長や局長らと会議する様子(写真右から2番目が永井氏)

 

グローバルファンドとの2度のかかわり

― グローバルファンドのプロポーザル審査委員を、2010〜15年に務めました。

これまた受け身の人生でして(笑)。厚労省への出向が終わったころ応募を勧めらました。1度目の応募で採用されたのですが、おそらくアジア人で、女性で、という「枠」があったんじゃないでしょうか。どうしても白人の男性が多くなるものですから。1回目の連載に登場された井戸田一朗先生とほぼ同時期、ご一緒にやらせていただきました。井戸田先生が思い出で語ったエヴィアンのホテルでの大騒ぎのときにもいましたし、期間の途中でどうしても息が詰まって、週末、二人で半日だけ抜け出して、どこかのお城を見に行ったこともあります。おたがい慰めあって励みましたが、自分があんなに寝ないで仕事できるとは知りませんでした(笑)。

でも、とても面白かった。一緒に働いていたほかのメンバーがすごく真摯で、ディスカッションも「このプロジェクトは、本当にこれでいいのか」といった真剣さで、学ぶことが多かったですね。

技術評価委員会の様子

私は、自分が「地べた」というか現場で活動していて、そこへグローバルファンドの大きなお金が来ることである種の歪みが生じることも見てきました。HIV対策に大金が来ると、その対策は大きく進みますが、それまでほかの疾病の仕事をしていた人や優秀な人がHIVに移っていき、三大感染症以外がすごく手薄になり、限りある人材の配置に苦慮することもあります。そうした課題も現場で見てきただけに、プロジェクトが実施された場合に生じうるアンバランスについて意見を呈しました。プロジェクトを通すにしても、実施時はこういうところに気をつけてくださいとか、次回申請するときまでに直してくださいとか、コメントをつけるわけですね。

 

― 思い出に残るような案件はありますか?

ある国の審査で、3つの病気で申請されていたお金の行き先がすべて、その国の保健省ではなくNGOだったことがあります。それを全部そのまま承認すると、その国の保健省の全予算を超えるような金額でした。それだけの額を民間につけてしまうと、この国の公的な保健システムはどうなってしまうのか。

朝から晩まで会議室に缶詰となる審査会合。休憩時間、気分転換に他国の評価委員とチャーリーズエンジェル風な一枚。

3つの病気だけ、違うお金の流れになり、それによって、優秀な医療行政官がお金のついたNGOに流出するかもしれませんし、医療者や薬などの管理のしくみも変わります。そんなことをして、10年後にこの国の保健行政の責任が不明確にならないか、他の疾病対策はどうするのか、と議論したことがありました。目の前に苦しんでいる患者さんがいて、治療を待っているのは事実でも、もう少し巨視的、長期的に考えないと、いずれグローバルファンドのお金が来なくなったときに、その国の保健政策はどうなるのか、と。それは病気の専門家にはない視点のようで、私の主張を理解できない人がいたことも印象的でしたね。

でも、そういう多様な議論をしたことがおもしろかったし、当時の同僚とはいまでもフェイスブックでつながっています。

 

― 2018年からは3年間、技術評価委員を務めています。

グローバルファンドの政策戦略の妥当性やインパクトの評価を行ない、理事会に提言・勧告を行なうという仕事です。入ってきたお金をどう振り分け、それを現場にどう下ろし、どう使われているかを、逐一モニタリングします。実際来るべきときにお金は来ているのか、来たお金は予定どおり使われているのか、計画は予定どおり進んでいるのか。もしそれがうまくいっていないなら、それはグローバルファンドの仕組みに由来するものか、それとも被支援国側の問題なのかという視点でウォッチし、グローバルファンド側の問題ならそれをどう変えるか分析検討して理事会に提言する、外部評価委員会です。

他の国際機関にくらべグローバルファンドはスリムな組織だと言われます。扱う金額のわりに700人の組織はスリムでしょうが、700人分の仕事をみんなが互いに知っているわけないので、情報疎通の不足や縦割りの弊害もあります。でも、みずから外部評価委員会を置いて修正しようとするのは、組織論として、すばらしいことだと思います。

この組織は、いい意味でつねに人が入れ替わり、若い人の登用も多いし、熱心な職員が多いですよ。熱心のあまりでしょうね、来るメールがいつも長いのが玉に瑕ですが(笑)。

来日中のグローバル・ファンドMark Dybul事務局長を迎えた米国大使館首席公使公邸の昼食会にて。同時期に審査委員を務めた井戸田先生とのスリーショット。

 

国際機関へ入ることが「目的」になってはいけない

― 国際保健の領域であれ、グローバルファンドの仕事であれ、かかわっていて「日本人」を意識することはありますか?

マニラのWHO西太平洋地域事務局、母子保健課の自身のオフィスにて。

正直あまり考えたことはないのですが……、英語ネイティブではないし、ハンディはいっぱいあると思うけど、グローバルファンドでは、日本は理事会に議席があり、これまでに多くの資金を拠出してきました。さまざまな場にも多くの日本人が参加しています。でも、グローバルファンド設立の言い出しっぺの国だし、お金をたくさん出しているから日本人も入れとくかと、名誉枠扱いなら不本意ですよね。私も審査委員として選ばれたときはもしかしたらアジア人で女性でという下駄を履かせてもらったかもしれないけれど、選ばれたからには、私なりに一生懸命務めたし、同時に、私がいう意見は日本国としての意見ではなく、国際保健のひとりの専門家としての私の意見であり、みんなもNAGAIのいうこととして耳を傾けてくれました。あまり日本を意識はしていませんが、へんなことを言って、だから日本人はしょうがないと思われてはいけない。水準に達してないと思われるのはシャクですね。

― 最後に若い人へのメッセージをお願いします。

たしかに自分は風に吹かれてここまで来た感じなんですが(笑)、でも、計画を立ててキャリアを積もうにも、計画通りにいかないのも現実です。私も最近は、若い人に自分の人生やキャリアを尋ねられる機会が増えてきましたが、いまの若い人はすごくまじめで、いろいろ調べすぎて、それで逆に一歩踏み出せなくなっていないかと思うこともあります。国際機関で働きたいと決めて、どこで働きたい、そのためにいつ留学して、国連のジュニアプログラムに参加して、そんなふうに綿密に決めて、それは素晴らしいのだけど、ちょっと大変そうだな、と。

WHO時代に二人三脚で仕事をしたハワード母子保健課長とのショット。

自分は将来WHOに勤めたいと語る若い人もいましたが、WHOに入ることが目的になっている。大事なのは、そこに入ってなにをするかですよね。世界には保健の分野で取り残されがちな人がいる。その人たちが、周囲の人とともに、その人たちなりにハッピーに過ごせるようにするにはなにをすればよくて、そのためにこういう組織ではなにができて、だからそこに入ってみたい……、それが逆になった質問をされることがある。グローバルファンドに行くにはどうしたらいいんですか、という若い人とはまだ会ったことないのが残念ですが(笑)。でも、ジュネーブの国際機関で働きたい、が夢になってはつまらないですよね。

たんにニューヨークやジュネーブで働きたいなら、金融でもメディアでも仕事はあります。こういう保健の仕事をしたい人は、本当は途上国の「地べた」で人びとと仕事をしたいのだけど、そこをよくするためにはどうしても「川上」へも行かざるをえない。そう思う人が挑戦してくれたらいいなと思います。

 

インタビュアー 編集協力エディター
永易至文

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BACK NUMBER

グローバルファンド日本委員会(FGFJ)では、グローバルファンドと何らかの関わりのある日本人をインタビューし、「日本人(わたし)とグローバルファンド」というコラムでウェブサイトに掲載しています。バックナンバーは下記からご覧ください。

 

日本人とグローバルファンド Vol.6

「ドナー国側の市民社会の人間としての責務」
稲場雅紀氏 (NPO法人アフリカ日本協議会 国際保健ディレクター)

日本人とグローバルファンド Vol.5

「ビジネスに応えた緊張感が命のミッションへ向かうとき」
髙山眞木子氏 (グローバルファンド渉外局ドナーリレーションズ専門官)

日本人とグローバルファンド Vol.4

「外交官がグローバルファンドの「ファン」になった理由(わけ)」
山本栄二氏 (外務省特命全権大使(国際テロ対策・組織犯罪対策協力担当兼北極担当))

日本人とグローバルファンド Vol.3

「現地女性のエンパワーメントに伴走して私のライフワークを見つけた」
瀬古素子氏 (ガーナ保健省UHC政策アドバイザー)

日本人とグローバルファンド Vol.2

「最後は私という人間を信頼してもらえるか。国際機関で知った理解の基本」
長嶺由衣子氏 (千葉大学予防医学センター特任研究員、医師)

日本人とグローバルファンド vol.1

「このお金を無駄にしてはいけない、人の命を救いたい。心はみな一致していました」
井戸田一朗氏 (しらかば診療所院長)