ロシア・ウクライナ戦争が勃発して早一年。ウクライナは、世界保健機関(WHO)が活動するヨーロッパ53カ国の中で結核罹患率が4番目に高く、超多剤耐性結核の確定症例数は世界で5番目に多い国です。戦争下における結核との闘いの現状についての記事をご紹介します。フレンズ・オブ・ザ・グローバル・ファイト(グローバルファンド米国委員会)のウェブサイトに掲載された特集記事をもとに、グローバルファンド日本委員会にて作成しました。原文はこちら。
ウクライナで結核対策に挑む医師たち
2023年3月23日 フレンズ・オブ・ザ・グローバル・ファイト
2月14日、ウクライナのヘルソン地方にある唯一の結核病院に砲弾が撃ち込まれ、建物の3階に着弾、80枚の窓ガラスが割れた。中には26人の患者と8人の職員がいたが、全員2階にいた。奇跡的に、誰も怪我をすることはなかった。
「患者は食べ物、治療、そして暖を取る必要があったので、すぐに全てに対応しようとしました」と、病院長代理のヴャチェスラフ・ムサト医師は語った。ムサト院長は、徹夜で請負業者や建設資材を探し、被害を修復したことを明かした。当直の看護師は、恐怖に怯える患者を慰めた。厨房が破壊されたため、病院スタッフは自宅で調理し、食料を持参して患者さんに食べさせた。
病院が砲撃されたとき、ムサト医師と彼のスタッフ、そして患者たちは既に9カ月間、ロシアの占領に耐えていた。ウクライナ南部の港湾都市ヘルソンは、昨年11月に占領から解放されたが、今もロシア軍による絶え間ない砲撃を受けている。ドニエプル川左岸のヘルソン市街地の一部は、今も占領されたままだ。
このような極限状態の中でも、ムサト医師は、より致命的で治療が困難な多剤耐性結核の患者202人を含む、この地域の結核患者406人全員に継続的なケアを提供することができたと語る。これは、スタッフの勇気と機転、そしてウクライナ保健省の公衆衛生センター、米国国際開発庁(USAID)やグローバルファンドなどの国際ドナーからの継続的な支援によるところが大きいと彼は言う。グローバルファンドは、2022年2月の戦争開始以来、ウクライナへの緊急資金として2500万ドル以上を承認している。この緊急資金は、2021年から2023年の期間にウクライナのHIVと結核との闘いを支援するために割り当てられた1億1948万米ドルと、パンデミックが発生して以来、新型コロナ対応に認められた5093万米ドルに上乗せされたものだ。
結核は空気中の細菌が肺を攻撃することで発症し、新型コロナが流行するまでは世界最大の感染症だった。結核は予防も治療も可能だが、治療期間は数カ月に及ぶ大変なもので、特に多剤耐性結核患者には深刻な副作用をもたらす。
ヘルソンの結核病院は、ウクライナ全土に25カ所ある結核病院の一つで、最も弱い立場にある患者たちの命を守る継続的なケアを提供している。また、患者たちが長期間の投薬治療を終えなければ、耐性結核を発症する危険性が高くなるため、確実な治療を行っている。ウクライナは、超多剤耐性結核の確定症例数が世界で5番目に多く、WHOが活動するヨーロッパ53カ国の中で結核罹患率が4番目に高い。
インフラの破壊や電力の喪失といった計り知れない困難にも関わらず、ウクライナは2022年に新たな結核患者と死亡者を何とか追跡することができ、18,241人の患者(前年比2.5%増)と2,873人の死亡者を登録した。ウクライナ保健省の公衆衛生センターで結核対策を指揮するヤナ・テレイヴァ氏は同僚と共に、戦争が続き、国際的な支援が減少した場合、今後数年間は結核との闘いにもっと悲惨な悪影響を及ぼすと予想している。「結核との闘いにおける我が国の成果に悪影響が生じないよう、結核が政治的、国際的に注目され続けることが重要です」と彼女は言う。
ロシアによるヘルソン占領時代、ムサト医師は、ドニエプル川の対岸に抗結核薬を配るために、汚い服に薬を包み隠すような方法を使ったと語っている。「車は25のチェックポイントを通過しなければなりませんでした。ロシア兵は電話番号やどこから来たのか、どこへ行くのかなどを調べました。車に赤十字の看板があっても、全く役に立ちませんでした。兵士が気に入ったものは、全て持ち去ることができたのです。薬を見つけたら、それを奪うことができたのです」と彼は言った。「私たちは、患者さんが数週間、数カ月を生き延びられるように、ある程度の薬のストックがあるようにしました。薬を届けるための工夫が必要だったのです」。
同時に、チームは計り知れないプレッシャーにさらされていた。病院の外来部門長であるナタリヤ・クリセンコ医師によると、ロシア軍は結核患者やスタッフにロシアへの避難を強要しようとしていたが、ほとんどが拒否した。道路封鎖のため、クリセンコ医師は毎日2時間かけて病院まで歩いた。ロシア軍が、占領に敵対するとみなした民間人を誘拐していた時期だった。昨年5月には、ウクライナのインターネットと携帯電話のサービスが遮断され、自宅で治療を受けている結核患者のバーチャルケアに支障をきたした。クリセンコ医師は、ウクライナの携帯電話の電波を見つけるために、9階建てのビルの屋上まで行ったという。
昨年11月11日、ウクライナ人がヘルソンを占領から解放したときは祝賀ムードだったが、クリセンコ医師によると、ロシア人は解放の際に水道と電力網を破壊した。「1カ月間、水も電気もない状態でした」と彼女は言う。そして今、砲撃は絶え間なく続き、”カオス状態 “になっている。また、川の左岸はまだロシアの支配下にあるため、物資を運ぶことができない。
ムサト医師は、診療所が完全に破壊された占領地にいる結核専門医に話を聞いたという。「彼は何とか薬を手に入れ、今、3人の患者を治療している。彼は患者を見捨てなかった。これはまさに勇気です。今日、彼は私にこう言いました。『職場はないが、患者は3人いる』。これが、今日の私たちの真実です」。
家を失った患者にとって、医師と結核病院が残された全てだと、公衆衛生センターのテレイヴァは言った。「多くの患者さんは、この病院の永住者です。この病院は単なる医療施設ではなく、彼らの家でもあるのです。家族を失った患者さんも多く、今ではここのスタッフもこうした患者さんの家族の一員なのです。」
関連リンク:
「厳しい事業環境下におけるグローバルファンドの活動」(原文)
「グローバルファンド、戦後1年を経たウクライナでの緊急追加資金拠出を発表」(原文)
「ウクライナにおける結核やエイズの状況に憂慮」(FGFJ作成記事)
「世界エイズデー特集:ウクライナにおけるエイズ予防の緊急対応」(FGFJ作成記事)