ピーター・ピオット回想録「ノー・タイム・トゥ・ルーズ―エボラとエイズと国際政治」出版記念セミナー(1)

  • 2015年4月17日(金)
  • 東京 | 慶応義塾大学三田キャンパス

この記事の掲載日 : 2015年05月19日(火) この記事のカテゴリー : ,


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crop_DSC9467Piotbooklaunchエボラ・ウイルスの発見者の一人であるピーター・ピオット氏(ロンドン大学衛生熱帯医学大学院学長、前国連合同エイズ計画事務局長)の回想録「ノー・タイム・トゥ・ルーズ―エボラとエイズと国際政治」が3月に慶應義塾大学出版会から出版されました。1980年代以降、エイズの流行が世界に急拡大したことによって、グローバルファンドが設立された背景が躍動感をもって描かれていることから、日本国際交流センターでは回想録の日本語版出版に協力し、4月17日には出版記念セミナーを開催しました。

日本通のピオット氏はこれまでに何度も来日し、専門分野での講演会はすでに何度も行われているため、今回のセミナーは少し趣向を変え、医師として、国際機関の長として、またアクティビストとして多彩な顔を持つピオット氏の人生哲学を通じて、グローバルな感染症問題を考える機会としました。保健医療分野の方々、国際機関やシビル・ソサエティの代表、国際関係に関心のある学生など約130名にご参加いただき、NHK国際放送局の榎原美樹さんと3名のパネリストが、ピオット氏との対談を行いました。


第一部 トーク : 回想録に込めた思いと執筆の秘話

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ユーモアあふれる回想録

榎原:回想録の日本語版の出版、おめでとうございます。

ピオット:ありがとうございます。2年ほど前に、後にこの本を翻訳することになる樽井さんや宮田さんと居酒屋で飲んでいた時、この回想録はぜひ日本の若者にも読んでほしいという話になり、そこから日本語出版につながりました。大村さんを含めて、翻訳して下さった3名はプロの翻訳家ではありませんが、本に書かれている内容や背景をよくご存知で、心を込めて翻訳作業に取り組んでくれました。

ピーター・ピオット(Peter Piot) ロンドン大学衛生熱帯医学大学院学長、前国連合同エイズ計画事務局長 1949年ベルギー生まれ。1974年ヘント大学でM.D.医学博士、1980年にアントワープ大学でPh.D(微生物学)取得。アントワープ熱帯医学研究所の微生物免疫教授、世界保健機関(WHO)の世界エイズプログラム副ディレクター等を経て、1995年から2008年まで国連合同エイズ計画(UNAIDS)の初代事務局長(国連事務次長)。2010年から現職。2013年に日本政府より第2回「野口英世アフリカ賞」を授与される。『TIME』紙の2014年パーソン・オブ・ザ・イヤー「エボラと闘う人々」の一人に選出。

ピーター・ピオット(Peter Piot) ロンドン大学衛生熱帯医学大学院学長、前国連合同エイズ計画事務局長 1949年ベルギー生まれ。1974年ヘント大学でM.D.医学博士、1980年にアントワープ大学でPh.D(微生物学)取得。アントワープ熱帯医学研究所の微生物免疫教授、世界保健機関(WHO)の世界エイズプログラム副ディレクター等を経て、1995年から2008年まで国連合同エイズ計画(UNAIDS)の初代事務局長(国連事務次長)。2010年から現職。2013年に日本政府より第2回「野口英世アフリカ賞」を授与される。『TIME』紙の2014年パーソン・オブ・ザ・イヤー「エボラと闘う人々」の一人に選出。

また、この本を世に出すために、グローバルヘルス技術振興基金と日本国際交流センターも協力してくれました。みなさんの共同作業に本当に感謝しています。

榎原:この本は、ピオット先生のアフリカ冒険話であり、世界の政治家に働きかける苦労話でもあります。思いっきり笑ってしまう箇所も多々ありました。私は紛争や災害地での取材を多く扱っていますが、危険や困難にぶちあたった時、ユーモアは非常に大事だと思います。困難に対しユーモアを持って対処してきたピオット先生の哲学について聞いてみたいと思います。

ピオット:これは生まれ育った文化に関係するかもしれません。ベルギーの国民的ヒーローは冒険好きのタンタンですからね。(笑)大事なことは、物事をあまり深刻に考えないことです。自分の限界や周りのことが見えなくなるからです。

もちろん、深刻なテーマに取り組んでいれば自分の気持ちがだんだん沈んでいくこともあります。でも、どんな深刻な状況であっても、小さな喜びを見つけることが大事です。そのほかに、支えてくれる人や物事を相対的に見る力も重要だと思います。

エボラの名前の由来

榎原:本の前半はアフリカでのエボラ・ウイルスの発見とエイズとの遭遇、後半はUNAIDS事務局長として世界のエイズ対策の陣頭指揮をとった日々、という構成になっています。エボラ・ウイルスの名前の由来についても書かれていますね。その話をしていただけますか。

ピオット:確かにそれは1976年、キンシャサ(現コンゴ民主共和国の首都)にいた時のことでした。夜中の3時頃に私たちはお酒を飲みながら、発見したウイルスのネーミングについて話していました。ウイルスが初めて発見された村ヤンブクの名前を使うことを考えましたが、この致死的なウイルスに村の名前が使われたら「死のウイルスの村」のレッテルを貼ることになり、その村に更なる悪影響を与える恐れがあります。

そこで、地理的な命名であっても影響の少ない「川」を使うことになり、ヤンブクの近くを流れるエボラ川の名前を使うことにしました。もっとも、その時は壁に貼ってある小さな地図で見ていたので近くだと思っていたのですが、実はヤンブクからエボラ川まで100キロも離れていることが後からわかったのですが。

自らも感染の恐怖

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榎原美樹(えばら・みき)日本放送協会(NHK)国際放送局 NEWSLINE編集長
1987年にNHK大阪に入局。ヨーロッパ総局特派委員、「ニュース10」キャスター、バンコク支局特派委員、報道局国際部記者、「海外ネットワーク」編集長、アメリカ総局特派委員などを歴任。ボスニア戦争や中東平和交渉、米国同時多発テロ事件やアフガン戦争、イラク戦争、インド洋大津波、ハイチ地震、国連などを担当し、国際問題を広範に取材。2013年より現職

榎原:ピオット先生ご自身もHIVやエボラの感染や死の恐怖を味わったことがありましたね。その時の気持ちを話していただけますか。

ピオット:そうですね。それは1983年、キンシャサで起きました。当時はエイズの原因となるウイルスの有無を確かめる方法はまだなく、私たちは患者から採血し、その免疫システムを観察していました。私は片付けの最中にうっかりと、エイズと思われる患者から採血した注射針で自分の指を刺してしまったのです。非常に愚かなことでした。

幸いなことに、私はHIVに感染しなかったことが、あとになってわかりました。エボラでも、当時はそれほど致死的で感染力が強いとは知らないまま、患者の処置をしていました。当時の我々のチームがなぜエボラ・ウイルスに感染しないでいられたのか、運がよかったとしか言えません。あれ以来、私は「人生の中で一番大事なことの一つは、運が悪くないこと」(the absence of bad luck is one of the most important things of life)と結論しています。

榎原:でも、その体験から、検査を待つ患者さんの気持ちがわかったわけですね。

ピオット:そうです。この時の経験で、結果を待つ間、人々がどれだけ不安かが身に染みてわかりました。エイズの原因ウイルスがまだ見つかっていない当時のことですから、今のように10分で検査結果がわかるわけではありません。原因ウイルスを研究しているパリの研究者のところに、キンシャサで患者から採血したサンプルを送る時に、自分の血液も送り検査してもらいました。針を刺してから、自分が感染していないとわかるまでに、3~4か月はかかったと思います。これは生きた教訓でした。以後、自分がかかわるHIV検査は、結果を伝えられるまでの時間を極力短くするよう努めています。

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