
現場を歩いてきた私がいま政策決定の場にいる意味とは
「日本人(わたし)とグローバルファンド」インタビュー
稲岡 恵美 氏
(グローバルファンド ヘルスファイナンス部 シニアアドバイザー)
* 本記事は2025年2月に実施したインタビューに基づき執筆しています。所属・肩書はインタビュー当時のものです。
バックパックひとつで飛び込んだ異国の地で出会った人々の営みを出発点に、国際保健の現場から政策作りの中枢へと歩んできた稲岡恵美さん。援助の現場で直面した現実と、政策決定の場でもどかしさを感じた経験を知るからこそ、現場と政策をつなぐ「橋渡し」がある――。
稲岡さんが語る、国際保健のこれから、そして日本人として果たすべき責任とは。現場に根ざした視点から、持続可能な仕組みづくりに挑むその歩みに迫ります。
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*稲岡氏の略歴と論考は記事下をご覧ください。
現地で保健政策が継続する体制作りへ
ー 外務省からジュネーブのグローバルファンド本部へ出向中ですね。
はい、瞬く間に3年になり、日々新しい学びや課題に向き合っています。振り返ればグローバルファンドとは長いつき合いで、2002年の創設の頃からいろいろな立場で接点があり、その挑戦を見てきました。グローバルファンドにヘルスファイナンスというチームが3年ぐらいまえにでき、それを担当する形で出向してきました。ヘルスファイナンスとは、支援が終わってもそれぞれの国が自国の資金で保健事業をやっていけるよう、国の仕組みづくりを支援する仕事です。保健省が感染症対策でこんなお金が必要、予算をつけてくれとお願いし、国の中で重要性が認識されてお金がつくためには、保健財政の強化、そして政治家の理解へも市民社会の声を伝えるアドボカシーが必要です。そして、ついた予算を一番効果的に使うためにどうプランニングするかを一緒に考える、ということをしています。ただ、グローバルファンドは支援国に駐在しているわけではないので、他の保健機関(例えばアメリカ政府、WHOや世界銀行など)と協力してサポートしています。
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ー 途上国は国内事情も複雑で、さまざまな苦労がありそうですね。
文化や考え方の違いを理解することの連続です。でも楽しいです。ある国は社会のヒエラルキーが強く、低い立場の人があまり自由にものを言えない場合があります。政治家や高官が言うことと現場の人たちの考えが違って、現場のニーズをつかみ損ねる。聞いた声が現地国の誰の声なのか吟味し、施策が本当に地域の人の健康水準を上げたり不公正を是正することにつながるか、かなり慎重に見極める必要があります。でもあまり深掘りするとかえって意図しないダメージにつながる場合もあります。現地の関係者の納得感が得られるように進めないと、物事は動きません。
保健支援は、その国の保健省だけではなく、政府の他の省庁はもちろん、市民社会、ビジネスやアカデミアが共通認識を持たないと進みません。それぞれの事情や立場があり、見ている世界が違う。ステークホルダー同士の信頼感もすぐできるものではないし、壊れやすい。ですので顔を合わせる機会を設けたり、会議では合間合間にティーブレイクを入れたり、本音で繋がれる工夫をするわけです。いくら援助機関が言っても、その国の人が本当にやる気にならないと長期的には動いていかないし、援助機関の人は任期が来れば帰国します。どう現地で継続する体制を作り出せるか、そこが支援の腕の見せどころです。
原点にあるバックパッカー体験
ー そんな稲岡さんは、どんな若者・学生だったのでしょう。
異文化に対する好奇心のバックパッカーでしたね。ネットがない時代ですから、現地に行ってから計画が始まる。知り合った人と情報交換し、宿を見つけて……。中東の宗教や慣習に関心があって、湾岸戦争にもかかわらず、トルコからシリア、ヨルダン、イスラエルへと陸路をバスで移動したことがありますが、厳しい政情でも、どこでも地元の人が温かく迎えてくださいました。人の営みって同じだなと感じる発見が多かったですね。現地風の服を着てマーケットで現地のご飯食べて、無茶なことや溶け込んでいくのが楽しいというか、いま自分が生きているのがラッキーなぐらいで、親不孝だったと思います(笑)。
初めての海外で訪れたインドネシアでは、貧困と衛生状況に、衝撃を受けました。でも、朝起きればすることはご飯を食べ、家族で助け合い、病者がいれば世話をし、結婚式やら葬式やら人生の通過儀礼があり、幸せがあり。学生だから人にも親切にしてもらったり、ときには泊めてもらったり。自分が生まれ育った兵庫の農村社会と同じ。そして、他人事と思えなくなりました。
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学生時代はアイセックという国際交流団体で活動しました。「持続可能な成長」と言われはじめ、環境や人口問題に関心が高まった時代で、世界のメンバーを日本に集めて議論する会議を開催しようと、先輩や友達と熱中しました。
テーマのひとつであった人口問題の解決策として産児制限や家族計画に関心をもったのが保健にかかわった最初です。
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ー 大学卒業後は保健分野の国際協力的な仕事ができると期待して製薬会社へ就職しますが、期待と現実の違いに悩み退職。医学系の大学院へ進学して、イエメンで社会調査を学ぶとともに、国際協力NGOであるジョイセフ(JOICFP)で実務を知ります。
ジョイセフでは国際的アドボカシーを勉強させてもらいましたね。メディアの巻き込み方や、議員にどう協力してもらって政治イシューの場に乗せるのかなど。そうしないとお金も人もついてこない。学生時代は正しいことを言えば世間は耳を傾けてくれると思っていますが、社会で弱い立場に置かれた人の声は勝手に聞こえてくるのではないこと、聞かれるような形でアドボカシーしていかないといけないと知ったのは、ジョイセフの経験からでした。
そしてイエメンの現地で、貧しい国で保健サービスを提供できるようにするにはどうしたらいいかを探求しました。といっても大学院生の手に負えることではない。現地に入ると各国の援助機関やNGOから来ている腕コキの先輩たちがいて、その背中を追っかけながら、診療所や集会所やら現場にまみれる、話を聞く日々です。
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現場と政策との距離に悩みはじめる
ー その後、保健協力の国際的NGOであるIPPF(国際家族計画連盟)に入職され、エイズと出会います。
当時、HIV感染とその社会・経済への影響は、世界的にも深刻でした。日本政府は2000年に日本HIV/エイズ信託基金をIPPFに委託します。エイズ予防を迅速に実施するには、既存の母子保健や家族計画のサービス提供体制を活用して資金を流していくのが効果的だったからです。IPPFはその領域において100カ国以上で傘下のNGOを通じて活動していました。アジアやアフリカのNGOと、地域の文化にマッチする予防啓発を考案して少しでも広い地域に展開し、やり甲斐ある経験でした。
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一方で、プロジェクトを管理する側ではなく、自分が途上国の現場に身をおいて活動をしたいと考え、JICAのプロジェクトに参加しました。アフリカのザンビアでは、スラム地区の保健当局と、基礎的な医療サービスの提供を確保するための支援に携わり、現地の保健師さんと計画を立て、栄養教室や保健指導に奔走しました。
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現場での活動は、毎日のように想定外のことが起こり、思い通りの結果にならず、フラストレーションの連続でもありました。ただみんなの反応が手に取るようにわかるし、そもそも人と触れ合う仕事が好きなので楽しい。なにより私が励まされたのは、コミュニティには献身的に活動する人たちがいる。そういう人たちを助けたいというとおこがましいですが、一緒に頑張れるし、楽しかったのです。
ー その楽しさを知りつつ、政策にもコミットしなければという“マタザキ状態”に悩みはじめます。
毎日コミュニティを少しでも良くしようと頑張るけど、小さな郡の状況ひとつ変えられない。ザンビアの国の保健状態をよくする目的で来ているのに、こんなザルで水を汲むようなことを続けていていいのかとの焦りがありました。ヘルスワーカーが重要といっても、給与の予算は何度言ってもこない。国の保健政策、せめては州レベルの保健政策に影響を与えて、方針や体制が変わらないと、現地の人のボランティアに依存するだけでは持続しない、と。
それで、JBIC(国際協力銀行、現在JICAに統合された円借款部門)で、国の政策を支援するプロジェクトにかかわることを経て、35歳のとき外務省へ入りました。
政策のアドミニストレーターとして
ー 外務省という中枢的な国家公務員にも、こうした中途採用があることを知りました。
最近は、社会人採用の人がたくさん活躍しています。そういう人の循環はとても大切だと思います。私が入省した当時は中途採用を始めたころで、仲間もいなくて苦労しました。1日目、私ができることってコピーとりぐらいかと呆然としました。最初、国際報道部門に配属されたのですが、当時、日米関係や歴史問題などの報道が微妙なころで、対応案を書いてみてと言われて、なにをどういう視点でまとめるかわからない。しかもそれをいちいち教えてもらえるような余裕がない切迫感でした。貢献できない恥ずかしさと、忙しい同僚の足を引っ張っている申し訳なさで、本当にきつかったですね。1日目から夜が遅くて終電近くになり、涙が流れました。負けてなるものかと思いました。
ー 雑巾掛けというか、お役所のイロハを知るところからだったんですね。
いつもと同じでなんとかなるさと思って飛び込んではみたものの、これまでの現場とはまったく違う、まさに一貫性や説明責任を問われる行政実務の(カチッと詰まった)世界があったことをあの年で知り、学びなおすのはきつかったですね。
でも、私が外務省へ入ろうと思ったのは、まさにそれを学ぶため。これまで援助の専門家として相手国の政府にいろいろ提案しながらも、自分自身が政府で働いたことがないようでは駄目だと認識していたからです。政策をつくるとか実施するということは、どういう過程や考慮が必要なことなのか、政府と議会や内閣との関係、議員との関係などを知らずして、それで相手国への技術支援とかいうのも不十分だと。行政機関で働いてみるのが、国際協力の仕事の「腕」をあげていくのに重要だと思ったから。ですから、最初は辛かったですが、外務省にいて政策決定の場に携わってきたからこそ、いまジュネーブ(グローバルファンド)で、途上国の仕組み作りをどうすればよいか政策決定過程が理解できる。外務省でのつらい「下積み」生活は役に立っているな、と思います。
ー その後、外務省に国際保健政策室ができます。どういう背景があるのでしょう。
当時、エイズをはじめSARS(重症急性呼吸器症候群)や鳥インフルエンザのこともあり、国境を越える感染症が安全保障上の課題と認識されるようになりました。2000年に採択された国連のミレニアム開発目標(MDGs)は、その目標の多くが保健でした。
世界における日本の位置づけが変化する中、日本政府もそういう国際的要請に応えることが重視されていました。日本は国民皆保険制度を導入し、貧しい人でも医療を受けられ健康寿命を達成し、高齢者がいきいきしているという、海外から本当に尊敬される“見える実績”があります。それを日本の「売り」にしない手はないという思いがあった。医療や保健を外交の一つのアジェンダに位置づけていこうと、2010年に国際保健政策室ができ、日本が世界の健康と福祉に貢献し、官民連携を推進することになりました。

ー G20大阪サミット(2019年)での合意文書のとりまとめでも活躍されたそうですね。もちろん大変なご苦労もあったと思いますが、一言一句を詰めていくのはある意味、玉虫色の作文技術。ハイレベルでの合意文書と途上国などの現場とのあいだには、大きな距離があるようにも思えます。
まさにおっしゃるとおりで、各国の高官とはいえ、現場の実情から離れた人たちが書いてくる大上段のコメントをもとに合意文書をまとめたところで具体的に物事が動くのだろうか、と思うときもあります。しかし、ちょっと待って。かつて支援対象国の現場でなぜ私たちは、政策が変わらないとどうしようもない、外圧でもないと変わらないと嘆きながら苦労をしたのか。国際的な理解や合意を進めれば、現場によい影響をもたらすことができる。なぜ現場の声がハイレベルに届いていかないのか。そして、なぜ私は今ここにいるのか……。
私のやるべきことは、こうした高官による政治文書を、いかに現場の実情にかなった血の通ったものにできるかではないか。現場やNGOで働いてきたバックグラウンドをもち、現場の人たちの仕事や思いを知る身だけに、ここでどういう流れができると現場がより動きやすくなるのか。そう考えると、自分が文言を修正できる立場でいることがものすごく意味があると思えてきました。
それも自己満足と言われそうですが。合意文書の作成は外交で必須のプロセスで、誰かがここで文書をまとめなきゃいけないんだったら、私が少しでもいいものにしたい。そう思って取り組みました。
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援助が先細りする時代、日本人としての貢献とは
ー そしていまグローバルファンド本部へ出向しているわけですが、これからグローバルファンドが果たしていくべき役割について、どうお考えでしょうか。
2つお話したいです。ひとつは、今後大きく変化するグローバルヘルスという分野の方向性に、最大資金量と影響力を有する組織として役割を果たすことです。具体的には、例えば、2023年に行われたグローバルヘルスの将来に関する議論で導き出された提言に示されるように、保健機関が連携して、活動の一貫性や効果効率を高める、持続性や援助からの卒業を共同で支援する調整です。これは過去何十年も達成できていない挑戦ですが、グローバルファンドは、かつて革新的メカニズムとして設立されたように、新しい発想に関係者が合意するプロセスを実現して、公共益を牽引してきているのです。
もうひとつは、グローバルファンドが改良を重ねてきた支援の仕組みや反省を、グローバルヘルス分野のみならず他の開発分野にも活かす役割です。例えば、受益国の主体性や政策を重視する仕組み、成果に連動した支援やモニタリング方法、異なる立場の関係者が参加する意思決定などです。現在、気候変動分野の方々と開発資金について意見交換する機会がありますが、相互に学びがあります。
ー そういう時期に、日本人である稲岡さんがグローバルファンドにいる意味はなんでしょうか。
私はこの3月で任期を終え、帰国しますが、日本の貢献を可視化する、そこに日本が参加することが大切だと思っています。
グローバルファンドへの拠出にあたり、「拠出したお金は各国のお金と混ざって日本の顔が見えない、日本がやっていると誰もわからない」と言われます。たしかにJICAのような二国間援助であれば、現地に日本人がいて、日本がやっていることがわかるけれど、国際機関だとそうではない。でも、グローバルファンドの本部に私がいて、私がアジアやアフリカの国と関わることで、グローバルファンドは日本人「も」運営に関わっていることがわかる。日本人がそこにいることで、日本がグローバルファンドという国際的な活動体を支えているということが見える、これは大切だと思います。
日本政府にとっては、資金を出している国際機関の内部から状況を把握できる意味があります。現在のトランプ政権の方針に伴う混乱期や組織の舵取りを考える上で重要です。もちろん、私は今はグローバルファンドの職員になりきる必要がありますが。ドナーと国際機関は同じ目的のために協力しているのであって、国際機関がどのように意思決定し動くのかを相手を知ることで、より上手に成果に近づくことができます。
最後にもう一点、不透明な将来に日本がこれからも世界から信頼される国であるためには、私たち日本人が、多様な立場の壁を乗り越えて、循環していく人材でありたいという思いです。国際機関でもきちんと仕事ができなければと頑張っています。ここでは、日本のような以心伝心は通用しにくい。一方で、中身がないのにカッコいい話ばかりで、真面目な日本人には悔しいこともあります。それが現実。ノンネイティブの自分が、それは正しくないと皆を説得できるか。大量の英文を理解し、皆が専門的な意見を出す中、意味あるコメントをするのは本当に難しい。これも現実で、意見を言わなければ、やりとりから外されてしまう。
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しかし、日本人は基本的な力が長けています。ここでの仕事は、外務省での経験があれば、仕事の進め方自体は難しくない、むしろ日本の方が効率的に見えることも事実です。実際、私がここでさまざまな議論にかかわり意見を言うなかで—-本当は苦手なんですが(笑)—-それでも私が言う意見に「日本人はやはり段取りがいい」と言われることもある。ここにはさまざまな国のカルチャーがありますから。でも私がいて、そういう役割を果たすことでチームの運営がなめらかになったりする。
そうそう、これはまだ出向するずいぶん前、グローバルファンド創設から10年が経過した頃、被支援国での資金の不正利用や支援の仕組みの不備が発覚し、事務局長が辞任に追い込まれました。アメリカ的なマネジメントとラテン的なマネジメントのカルチャーがぶつかって関係が悪化する中、日本が双方の関係者を取り持ちました。日本政府代表理事が選挙委員長になり、日本人の謙虚さと中立的なところが各国から安心感をもって受け止められ、関係者が納得する形で混乱を収め感謝されました。こうしたことも、日本が国際社会に対して果たすことができる重要な貢献のひとつと考えます。
ー グローバルファンドはWHOや世界銀行など他の機関と連携して取り組んでいます。最後に、他の機関と異なるユニークな部分、そして連携することの困難さがあるとすれば、お聞かせください。
WHO(世界保健機関)、世界銀行、グローバルファンド、それぞれに役割や特色があります。グローバルファンドは、無償の資金を三大感染症に係る対策に特化して迅速に提供します。世界銀行の資金は、もっと広範に保健政策や仕組みの強化に対する借款で、各国の予算として使われます。WHOは、個々の保健計画に対して専門的観点から方向性を示し、実施能力の向上を支援します。
こうした三つの組織は、人々の健康向上という同じ目的で活動するので自ずと連携しています。一方で、それぞれの活動は、それぞれの組織の方針や規則に沿って実施し、それらの意思決定機関に報告しなければなりません。これが、連携を難しくする現実でもあります。つまり、他の機関と連携しようとすると、他の機関の考え方や仕事の進め方を受け入れなければなりません。連携によって得られた成果は誰のものか、どちらの機関がどれだけ貢献したと言うか、この点が大きな課題になることがあります。これは組織間で競争があり、成果を取り合うものだという現実を心得る必要があります。連携にはリーダーシップとコミュニケーションが大切。敬意と思いやりも必要です。放っておくと消えてしまいそうな協力のタネをいかに育てるか。組織同士、お互い助けたり助けられたり、ホシの貸し借りじゃないですが(笑)、相手にもこちらが役に立つと思ってもらえるようwin-winな関係を醸成しつつ、それぞれの組織が納得できる説明を、論理的かつ透明性をもってすることに気を配っています。
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そして、これは意識の高い担当者に依存するのではなく、組織の仕組みや手順に含めて、評価指標にしてインセンティブ付けすることがポイントです。背後にはそれぞれ理事会があります。理事会の決定を事務局が実行するわけですから、本来は各機関の理事会同士がもっと横でつながって、方向性や優先順位を共有できると、事務局の間や、援助資金が流れていく現場での連携や協力は進みます。その辺りは反省していかないといけない。米政府をはじめ国際協力への援助額が減っていることは危機的なことですが、逆にこれからのことを考える、いいきっかけにしていかなければならないと、私個人は思っています。
インタビュアー:FGFJ レポート編集協力エディター 永易 至文
*本記事は、2025年2月に行ったインタビューに基づき執筆、掲載しています。
必要な保健医療サービスを、すべての人が経済的困難なく受けられるようにするために――。UHC達成に向けた課題の一つである、低・中所得国が援助から自立し、低・中所得国が援助から自立し、自国予算で感染症対策資金を持続的に確保する取り組みについて、昨年稲岡さんが執筆したFGFJ Issue Brief/論点解説 No. 2「「持続可能な感染症対策に向けて―グローバルファンドによるヘルスファイナンスの取組―」もぜひご一読ください。
稲岡 恵美
世界エイズ・結核・マラリア対策基金(グローバルファンド)
グローバルファンド ヘルスファイナンス部 シニアアドバイザー
製薬企業を経て、援助機関やNGOでアジア・アフリカ・中東他の保健支援に従事。具体的には、(財)ジョイセフでリプロ・ヘルス、国際家族計画連盟(IPPF)でエイズ対策日本信託基金の立ち上げ、JICAでは地域保健の技術協力プロジェクト、国際協力銀行(JBIC)で医療インフラ整備や保健制度改革の円借款に携わる。2007年に外務省入省、国際報道や経済協力開発機構(OECD)代表部を経ながら、日本の国際保健外交を担当。2010年には国際保健外交戦略を策定し、UHCを推進。2020年には内閣官房健康医療戦略推進本部にグローバルヘルス協議会と設置し、政府の取組を強化。G7・G20・国連での発信、保健機関への資金拠出、新型コロナ対応、東京栄養サミット開催など、国際保健専門官として多岐にわたる課題に取り組む。2022年、グローバルファンドへ出向。東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。
BACK NUMBER
グローバルファンド日本委員会(FGFJ)では、グローバルファンドと何らかの関わりのある日本人をインタビューし、「日本人(わたし)とグローバルファンド」というコラムでウェブサイトに掲載しています。バックナンバーはこちらのページからご覧ください。
