4月17日に開催された、ピーター・ピオット回想録「ノー・タイム・トゥ・ルーズ―エボラとエイズと国際政治」出版記念セミナーの第一部、ピオット氏とNHK国際放送局NEWSLINE編集長の榎原美樹さんとのトークの続きです。
治療手段がなかった時代のエイズ
榎原:まだエイズの治療薬が開発されていない時は、エイズ宣告は死の宣告に近く辛かったと、本の中に書かれていましたね。
ピオット:私はUNAIDSの事務局長を務めるまで、患者を診ていました。当時はエイズの治療薬がなく、エイズ宣告は極めて辛くて、宣告の前夜はいつも眠ることができませんでした。多くの人々は事実を受け入れられず、自殺など極端な行動に走ってしまうケースもありました。また、本人の家族や周りの反応も様々でした。
例えば、ケニアでは、多くの妊婦が出産前にクリニックで健診を受けて、そこでHIV陽性であることがみつかります。私たちは感染を防ぐために、パートナーに伝えるように勧めたところ、多くの女性たちはパートナーに殴られ、家から追い出されるなど、悲惨な結果を招きました。性や罪悪と関連づけられ差別や偏見の対象となる病気だからです。それからは、私たちはもっと慎重に対応し、パートナーから理解が得られるように時間をかけて、彼女たちと一緒に対応を考えていくようにしました。
性を扱うことの難しさ
榎原:エイズは、性の問題を扱うことが避けて通れません。当初は医師の間でもかなりの抵抗感があったことが本に書かれています。今は当時とだいぶ変わりましたか。
ピオット:地域や社会にもよりますが、かなり変わったと思います。特に欧州ではエイズの流行が契機となり変わりました。私がまだ若かった頃、ベルギーでは同性愛は違法でしたが、今は同性結婚が認められるようになりました。このように同性愛が受けられるようになった社会もあれば、同性同士のセックスで死刑になる国もあります。同性愛者だけでなく、世界中に多くの人が様々な理由で差別を受けています。だから、私たちの道のりはまだ長いです。
私がUNAIDSの事務局長だった時、バチカンを訪れたことがありました。当時、避妊に反対するカトリック教会がエイズの予防手段としてコンドームの使用を拒否していました。私はカトリック教徒として育てられたので、それについて理解はしていますが、世界中に広がるエイズを予防するためにコンドームの使用が不可欠であることを訴えるため、カトリックの枢機卿たちと何日も話し合いました。
私は教会の神学的、道徳的な役割を尊敬し、他方、教会はUNAIDSの科学に基づく専門知見を尊重し、双方の合意点を見出すことに努力しました。結果、私たちは人の命を救うことが最優先課題であることに合意し、教会はエイズ問題への対処としてコンドームの反対を止めました。このようにエイズ問題に取り組んでいく中から、私は謙虚な姿勢や自分の価値観・見解を相手に押し付けず、双方の合意点を見出すことの大切さを学んだと思います。
UNAIDSの事務局長として目標を絞る
榎原:1994年にUNAIDSのトップに就任された時、ひどく孤独だと書いておられます。UNAIDSの事務局長で、一番良かったことと一番辛かったことは何でしょうか。
ピオット:一番良かったことは私がボスであること、一番悪かったことは私がすべてに対して責任を持たなければいけないことです(笑)。国連システムの中で仕事をした経験はなく、多くの人との闘いの連続の日々で辛かったのは確かです。
他方、具体的な目標がある時には国連は効果的に機能することも知っていました。そこで私は目標を一つに絞りました。エイズを国際社会の政治課題に押し上げ、エイズの流行から人の命を救うことです。偶然のめぐりあわせですが、私が就任してまもなくエイズの発症を抑える薬が開発され、エイズを治療することができるようになりました。これは私にとって幸運でした。
ただし、闘いの最初は非常に厳しいものでした。エイズの治療は、当時一人年間14,000ドルという高価なものだったからです。エイズの世界的流行を抑えるためには、何としてでもこの価格を300ドルくらいまで下げ、途上国でも治療を始める必要がありました。周囲には、価格を下げるのは不可能だ、保健システムの整っていない途上国での治療は不可能だという人ばかりで、不可能である理由を延々と並べ立てそれに合意するための会合に無駄な時間が費やされている状態でした。私は、それらを無視して製薬企業と価格引き下げの交渉を続けました。
エイズを国際社会の政治課題に
科学者としては、科学的根拠のあるデータがあれば、物事は自然に動いていくと思っていました。だが、それは甘かった。政治的に動く必要があったのです。当時、エイズの治療には、多くの薬を一日に何度も正確な時間に服用し、病気の進行をきちんと判断することが必要でした。医療制度が整っていない途上国で薬が使われるようになると、不適切な薬の服用によって薬に耐性を持つウイルスが出現するという懸念が、途上国での治療開始に対する障壁でした。
そこで私たちは、懐疑派を説得するために、ウガンダやコートジボワールで試験的に治療プログラムを行い、途上国であってもわずかな投資をすれば、治療を適切に管理し命を救うことができるということを実証しました。
次は、物事が決まる場所にこの問題を持ち込む必要がありました。米国の国連大使を務めていたリチャード・ホルブルック大使の協力を得て、2000年1月の国連安全保障理事会にエイズを議題とすることができました。安保理で保健医療問題が討議されたのはこれが初めてでした。
これが様々な面で突破口となり、やがて、製薬会社が薬の価格を途上国向けに値引きすることに合意し、またグローバルファンド(世界エイズ・結核・マラリア対策基金)が設立され、米国の大統領緊急エイズ救援計画も始まり、途上国でエイズ治療が可能になったのです。
目標に向け、時間を無駄にするな
皆さんにお伝えしたいことは、多くの人の命を救い、政策を変えたいと思うなら、焦らずに長期的な目標と戦略を持つことです。ある程度は頑固であっていい。決めた目標を実現するために、余計なことに時間を費やさないことが大切です。No Time to Loseです。
日本人には、もっと世界に出ていき、もっと世界のことを取り入れてほしいと思います。日本には、科学技術をはじめ世界に貢献できる知見が数多くあるのですから。