4月17日に開催された、ピーター・ピオット回想録「ノー・タイム・トゥ・ルーズ―エボラとエイズと国際政治」出版記念セミナーの第二部です。異なる分野で活躍している日本の次世代リーダーたちが、自分が活動する上で本書から得られたヒントを紹介し、ピオット氏と対話しました。
第二部 : ピオット氏と語る 「日本の次世代リーダーはこの本から何を学んだか」
伊藤(モデレーター):日本語版の出版の企画を始めた時から、この本を読んでほしい3つの読者群がありました。今日はそれぞれからお一人づつ、パネリストとしてご登壇いただきました。まずは、グローバルヘルス分野で活躍している日本の若い人です。
この本を読んだ方は、この分野で国際的に活躍している日本人が少ないことに気づかれたと思います。少し悔しいと思われませんでしたか。10年後、20年後にはきっと変わっていてほしい、という願いを込めて、若手医療者の代表として、地域医療とグローバルヘルスで活躍している佐久総合病院の加藤琢真さんにおいでいただきました。まずはこの本を読んだ感想とピオット先生への質問をお願いします。
加藤: ピオット先生の回想録には、改めて勇気をいただいて、激励された思いです。エボラやHIVが最初に確認された当時のことや初期の対処はあまり知られていないので、その過程について書かれたこの本は私にとって教科書のようなものでした。
例えば、エボラに関して、アウトブレイクが起きた村で、ザイール特有の葬儀における非常に濃厚な接触という特徴に着目して感染経路を断定した医療文化人類学的な側面、現場の感染拡大を疫学の原則を用いて把握し、その発見を臨床応用するまでの過程、それぞれの学問の必要性を改めて教えていただきました。
臨床医から政策にかかわるポストへの転身
加藤:非常に驚いたことは、ピオット先生が、臨床医や研究者からUNAIDSの事務局長まで、多彩なキャリアを歩まれたことです。目の前の状況や世界のニーズに柔軟に対応してキャリアをシフトされています。アフリカで活躍する中で、政策にかかわるポストへの要請は何度もあり、最初は断られましたが、最終的にUNAIDSの事務局長の仕事を引き受けましたね。
そこに至るまでの過程でどのような心境の変化があったのでしょうか。私自身は、医師として患者さんを前にして臨床をしていることに安心感があり、そこから離れて政策を作る側に転換していくにはかなりの勇気がいると感じているのですが。
ピオット:そうですね。研究者から全く異なる分野にシフトするのは、正直非常に難しかったです。しかし、研究を続けていくうちに、一種の「中年の危機」に陥ったのです。一体いつまで研究を続けるのか、という焦燥感がありました。確かに、数多くの研究を発表して、自分の実績は上がってきましたが、感染が広がるエイズに対して誰も何にも具体的な対策を打っていないじゃないか、と。
UNAIDSが設立された時に、関心は持っていましたが、自分が国連官僚になるなどまったく考えていませんでした。しかし、決心をしたのは、エイズの実態をあまり知らない人たちがUNAIDSの事務局長の候補者と知った時でした。フィールドを知らない人が、どうやって政治家にこの問題を訴えられるというのでしょう。
UNAIDSの事務局長になってからは様々な困難に直面しましたが、エイズを何とかしなければという強い信念が私を前進し続けさせました。孤独でしたが、何とか味方を見つけて、同じ目標に向けて取り組んできました。
エイズ対策の今後はどうなる?
加藤:現在、HIVの新規感染者の増加に歯止めがかかっています。エイズが明確な目標として掲げられた2015年までの国連ミレニアム開発目標から、次の開発目標へと移行する国際社会の変化の中で、エイズ対策は今後どう変わっていくと予測されますか?
ピオット:私たちはエイズの対策で大きな成果を成し遂げてきました。途上国では今1500万人がAVR治療を受けています。15年前にはとても考えられなかったことであり、国際社会が共同で成し遂げたことを、私たちは誇りに思うべきです。
しかし、最近、エイズは終わったかのような見方を耳にします。エイズはもういい、さあ次の課題だ、と。それは間違っています。いまだに毎年、200万人近くが新たに感染し、日本でも毎日4~5人が感染しているのです。私たちは引き続き努力しなければいけません。今年12月に日本でグローバルファンドの増資準備会合が開かれますが、日本が2015年後のエイズ対策に向けて大きなリーダーシップを発揮する良い機会です。
日本はどのような人材を育成すべきか
加藤:新たな感染症はこれからも起こると思います。グローバルヘルスの分野において、日本人がもっとコミットしていくために、日本はどのような人材を育成していくべきでしょうか。
ピオット:日本のためを考え、かつ国際的な経験を持つ人材が必要です。多くの言語を身につけ、外国で活動した経験が多ければ多いほど世界の扉が開きます。若い人たちがそうした経験を積めるよう制度化することが必要ではないでしょうか。教育機関では、グローバルヘルスの研究と同時にキャリア教育も行うこと、また海外での経験がブランクとならずに帰国後のキャリアに活かせる制度の構築も大事だと思います。
伊藤:この本を読んでほしかった第二の読者群は、日本のHIV陽性者の方々です。エイズは遠い国の話ではなく、日本の足元でも静かに拡大している国内問題でもあります。本に書かれていることはアフリカのことですが、必ず日本のエイズ対策に役立つことがあるはずと思い、日本HIV陽性者ネットワーク・ジャンププラスの高久陽介さんにおいでいただきました。
HIV陽性者の視点から
高久:私は日本のHIV陽性者という視点で、日本で何ができるだろうか、この本から学ぶべきことはあるだろうか、と考えながらこの本を読みました。
ピオット先生がおっしゃるように日本はとても恵まれています。日本は薬害エイズという特殊な要因があったため、エイズの医療・福祉制度が急速に整えられ、最先端の治療がいきわたりました。
しかし、日本人の「無菌主義」的な考え方、つまり、自分と異なる性質を持つ人やモノを排除したがる習性は、いまでもHIV陽性者に大きなスティグマをもたらしています。アフリカとは違って日本は治療へのアクセスがあるからよかったね、というわけではない。多くのHIV陽性者は、「誰かに感染させたかもしれない」と自分を責め、「自分に感染させたのは誰か」という憶測を必死に押し殺し、HIV陽性者であることが明らかになることに怯えながら、長い人生を送っています。そのため、治療によって命をつないでも、自分の人生に意味がないと感じている人が多い。
最近のアンケート調査では、HIV陽性者のメンタル状況が非常に悪いという結果が出ているし、診療機関での拒否、就職で不利になることなど多々問題があります。治療はすべてを解決することはできないのだと思います。
この本を読んで、世界でも日本でも一緒だと思ったのは、世の中には、感染症を前にすると3種類の人間がいるということです。(1)すでに感染している人、感染リスクに強くさらされている人、(2)感染者と向き合うピオット先生のような人、(3)ウイルスを恐れて感染者を排除したり、自分には関係ないと棚に上げてしまう人、です。この3つ目のグループがきちんと向き合うことが大事なのだと思います。私たち当事者は声を上げる必要がありますが、専門的な力を持った研究者や行政の人たちが私たち当事者ときちんと向き合ってくれて、初めてエイズの問題に対応できるのだと思いました。
セックスについて語ることに抵抗がないのはなぜ?
高久:HIVは性感染症でもあるのに、エイズの話をする時にセックスについて触れないのは違和感があります。この本を読んでいると、ピオット先生は、セックスや性の問題に対して、どんな壮絶な状況であっても物怖じせずに、先入観なく接していることがよくわかります。しかも20年前にです。なぜそれができたのですか?ピーターさんみたいな人はどうしたら育つのでしょうか。
ピオット:いや、皆が私のような人では困りますね。(笑)私は保守的な家庭で育ちました。しかし、医者の仕事は人の命を助けることであって、どこで何をしてHIVに感染したのか、それが良いことか悪いことかは医者には関係ないのです。医者は患者の人間としての善悪を判断してはいけない、それが医者と患者の信頼関係の基本条件だと思います。
先入観なく物事を見れるようになったのは、自分以外の人が何を考えているか、なぜそう考えるのかを常に理解しようと努めてきたからだと思います。どんな土地に行っても公式行事の後、できるだけ町に出て飲み屋に行き人々の話を聞くことにしています。新宿のゲイバーも行きました。彼らの話を聞き話すことで状況を把握するだけでなく、ものの見方を理解することができます。人類学的な手法ですが、人々の声を聴くことに勝るものはありません。医学以前の、人間としての基本ですね。
伊藤:最後の読者群は、保健医療以外の分野の人々です。この本を読むと、社会的なムーブメントがどのように作られ政策が動いていくのかが実によくわかります。エイズの世界だけにとどめておくのはもったいない。他の分野でアドボカシーをしている方にも役に立つことがあるのではないでしょうか。児童労働という大変重要な問題に取り組んでいる ACEの岩附由香さんに来ていただきました。
岩附:まずは、市民社会代表として、お礼を言いたいと思います。UNAIDSのような組織の運営に市民社会が議席を持ち、その声が反映させられるようにして下さったことに感謝しています。私は常々、国際協力の分野では、児童労働や子どもの教育に比べ、なぜエイズはこれほど資金が潤沢にあるのだろうと思ってきました。この本を読んで、ピオット先生がこうやって世界を動かしてきたからだ、ということがわかりました。ぜひ、私の師匠になってください。(笑)
「政治的意思がないからだ」
岩附:1997年に児童労働の活動を始めた時に出会った言葉がありました。それは、昨年ノーベル平和賞を受賞したインドのカイラシュ・サティヤルティさんの言葉です――「児童労働がなくならないのは貧困が理由ではない。政治的な意思(political will)が欠如しているからだ」。国にお金がないわけではない。軍事費は多額にある。その1%でも人道支援に使えばもっと皆が助かるのに、その政治的意思がないのです。児童労働の問題に取り組む中で、この政治的な意思を作るのが非常に難しいと感じています。
ピオット先生は、エイズとの闘いで多くの功績を残してこられましたが、ご自分やエイズとの闘いの進化にとって最も意味のあった事は何でしょうか?
ピオット:その通り、政治的な意思はとても重要だと思います。エイズとの闘いで重要だったのは、戦略を持てたことと、ムーブメント(運動)が起きたことの2点でしょうか。児童労働でもこの二つが必要でしょう。ムーブメントが起き、そこに政治的な意思が働けば、金は出てくるものです。
児童労働でも、もっとアクティビストが増える必要があるでしょう。重要なことは、いかに悲惨な問題かを訴えるだけでなく、解決策も一緒に提示することです。相手に、自分もその解決の一翼を担えるかもしれないと思わせることが大切です。また、大きな目標を達成するためには、時にルールを曲げて良いのです。あとで謝ればいいのですから。
もしやり直せるとしたら?
岩附:もし、タイムマシンがあって、過去に戻れるとしたら、何をやり直しますか?
ピオット:子どもの頃に戻って漫画をもっとよみたいです(笑)。エイズとの闘いには、大きな潮目の変化が2度ありました。一つは科学技術の進歩で薬が開発され治療ができるようになったこと。あらゆる点でこれが突破口になりました。多くの人が死ななくて済むようになり、病気に対する見方が変わり、そして何よりも解決方法があることを政治家に示せるようになったのです。二つ目は、安全保障理事会などを含めて政治的な動きが出てきた時です。
第1の科学的な成果を、第2の政治的な動きにもっと早く結びつけられればよかった、という思いはあります。しかし、早くやろうとしても無理だったのではないでしょうか。物事が動くにはそれなりのタイミングが必要ですから。2000年頃になると、世界経済が好調になり開発援助予算が増えていきました。だから、他の課題から予算を奪わずにエイズの予算が増やせたのです。そしてコフィ・アナン事務総長が私の上司になり、国連開発目標が策定され、私のことを支持してくれました。時間はかかっても、こうした背景がそろったことで物事が動いたのだと思います。
カメレオンの教訓
岩附:この本に書かれた「カメレオンの教訓」がとても好きです。ぜひその話をここで皆さんに話していただけますか。
ピオット:カメレオンの話ですね。ある時、私は、ウガンダの首都カンパラのレストランで、後にUNAIDSで私の後継者となるマリ出身のミシェル・シディベと、人生について話していました。ミシェルはある話をしてくれました。彼の部族では、思春期を迎えた少年は大人になるための儀式を受けます。少年にカメレオンを与え、1週間観察させるのだそうです。カメレオンを眺めているだけで、人生の教訓を学ぶことができるからです。
カメレオンから得た教訓を要約すると、(1)カメレオンの頭は常に同じ方向を見ている(長期的な目標を定めて、それに専念せよ)、(2)カメレオンの目は周囲の状況を見るために絶えず動く(常に備えよ)、(3)カメレオンは環境に応じて色を変える(目標を達成するために柔軟であれ)、(4)カメレオンの動きは慎重(注意して動け)、(5)カメレオンは舌で獲物を取るが、早すぎても遅すぎても獲物を逃がす(タイミングが重要)。
複雑な事態に直面した際、私はいつもこのカメレオンの教訓を参考にして、行動しています。カメレオンの話を取り上げてくれて、ありがとうございます。
伊藤:今日は、ピオット先生から多くの勇気をいただきました。先生、パネリストの皆さま、どうもありがとうございました。
ピーター・ピオット回想録「ノー・タイム・トゥ・ルーズ―エボラとエイズと国際政治」
出版記念セミナー
日 時: 2015年4月17日(金)18:30~
会 場: 慶應義塾大学三田キャンパス北館ホール
主 催:(公財)日本国際交流センター / グローバルファンド日本委員会
共 催: 慶應義塾大学文学部倫理学専攻
協 力:(特活)エイズ&ソサエティ研究会議、(公社)グローバルヘルス技術振興基金、慶應義塾大学出版会株式会社
[プログラム]
著者紹介
黒川 清(政策研究大学院大学教授、グローバルヘルス技術振興基金代表理事、日本医療政策機構代表理事)
第一部 トーク : 回想録に込めた思いと執筆の秘話
ピーター・ピオット(ロンドン大学衛生熱帯医学大学院学長、前国連合同エイズ計画事務局長)
榎原 美樹(NHK国際放送局NEWSLINE編集長)
第二部 ピオット氏と語る 「日本の次世代リーダーはこの本から何を学んだか」
ピーター・ピオット
加藤 琢真(長野厚生連佐久総合病院国際保健医療科・小児科医師)
高久 陽介 (日本HIV陽性者ネットワーク・ジャンププラス代表理事)
岩附 由香(認定NPO法人ACE代表)
伊藤 聡子(日本国際交流センター執行理事) (モデレーター)
閉会挨拶
大河原 昭夫(日本国際交流センター理事長)
レセプション 翻訳者の紹介