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日本人とグローバルファンド Vol. 10 宮野真輔 氏

2021年9月7日
日本人とグローバルファンド Vol. 10 宮野真輔 氏
日本人とグローバルファンド

いろいろなカルチャーや多国籍の人から刺激を受ける楽しさ

インタビュー
宮野真輔 氏(国際協力機構(JICA) ミャンマー保健スポーツ省感染症対策アドバイザー、国際医療研究センター(NCGM) 国際医療協力局医師、グローバルファンド技術審査委員会(TRP)メンバー)

JICA感染症対策アドバイザーとしてミャンマーの保健スポーツ省で結核・HIVを含む薬剤耐性対策に尽力され、2020年からはグローバルファンドの技術審査委員会 (TRP) の結核エキスパートとしてもご活躍中の宮野真輔さん。臨床、国際機関、行政、と国内外様々なフィールドで国際医療に携わるなかで得たご経験やTRPについて、そして、新型コロナ対応からの学びや今後グローバルファンドの果たすべき役割についてもお話を伺いました。

阪神大震災で奮起し、医学部へ合格

― お決まりの質問ですが、医師や国際協力を志したきっかけからおうかがいします。

いろんなところで聞かれますが、育ってきた過程のなかでいろいろなファクターがあり、医師や国際保健医療協力に携わる僕という人間ができたのかなと、振り返って思います。両親の影響としては、母親が持病で毎年寝込むような人で、母を助けたいという思いがあったのも一つ。父は海外出張の多い会社員で、父から海外の話を聞くことも多く、海外で働いてみたい、国外の人とやりとりする仕事をしてみたい、と思っていました。幼稚園がカトリックだったので、月並みですが、途上国の貧しい子どもたちの写真を見たり話を聞いて身近に感じていたのかもしれません。小中学生のころは、学校で青年赤十字の活動に参加していました。

医師になりたいと決めたのは高校生になってからですが、大学受験では浪人します。ちょうど阪神大震災が起きたときで、もう一回自分を見直したいと思い、春に現地へボランティアに行きました。避難所で子どもの相手をするとか、仮設住宅で高齢者の話し相手をするぐらいしかできないんですが、こういう場所で役立てるお医者さんにやっぱり自分はなりたいと思い、奮起して翌年、医学部に合格しました。

― 学生時代はどんな感じでしたか?

部活は登山部。夏はザックを背負って数週間、上にいて(笑)、先輩について縦走をしたりしました。そのザックのままでバックパッカーとしてアジア旅行に出かけ、現地の貧富の差や都市と地方の医療格差を目にしたのも印象深かった。あと、赤十字奉仕団というサークルで障がい者作業所でのボランティア活動もしてました。

学生時代、御来光をバックに南アルプスで同級生と(宮野氏は右から1人目/宮野氏ご提供)
学生時代、バックパックを背負ってラオス旅行中(宮野氏ご提供)

― そして卒業後は国立国際医療研究センター病院へ入職されます。

いまは医学部を卒業すると、市中の病院で研修を受けるのがあたりまえですが、僕らの時代は大学へ残って研修するのが普通でした。ただ、僕は医局に残って教授のもとで働くというイメージができず、大学じゃないところで研修したい思いがありました。当時、研修プログラムがある病院は限られていたんですが、いくつか採用試験を受け、2002年に国立国際医療センター(現・国立国際医療研究センター)に採用されました。国際医療協力にかかわりたいという思いもありましたし。

初期研修医のときは、全科を回り、後期研修では、結核や肺炎といった感染症から慢性閉塞性肺疾患(COPD)や癌といった非感染性疾患を広くカバーする呼吸器内科を選びました。結核病棟が当時80床ぐらいあるのも珍しかったですし、他の病院ではまだHIVにかかわることが少なかった時代にHIVにかかわれたのもよかったと思います。結核とHIVは不可分な病気ですが、それを実感もって日本国内で学ぶ機会はここぐらいでした。

あとは、新宿区という場所の特徴から、医療にアクセスしづらい外国人が救急搬送されてきたり、その後、治療費の問題がいろいろ起こったり、ホームレスのかたが運ばれてきたらかなり稀有な結核の肺になっていたり……、いろいろ学んだり感じることは多かったです。

海外の厳しさと国の医療行政、両方を学んだ修業時代

― そして、念願だった国際医療協力を経験します。

現在私が所属する国際医療協力局が、後期研修医を中心に国際保健を学ぶ3か月のコースを当時、提供していました。海外での結核の状況が知りたくて、エジプトにあるWHOの東地中海地域事務局で当時、結核プログラムを統括されていた清田明宏先生(現在:UNNRWA保健局長)を紹介していただきました。まず、地域事務局では政策やガイドライン、地域の疫学状況を把握し、さらに、政策が現場でどう実現されているかということを理解するために東地中海地域に属するパキスタンへ行かせてもらいました。

はじめての海外研修でもあり、3か月は本当に短かったですが、印象深い日々でした。結核の標準治療は確立されていて、定められた薬を飲めばいいわけですが、パキスタンもイスラム圏で男女差が厳しく、女性は医療施設に行きにくくて治療が継続しない。そのため「レディーヘルスワーカー」というボランティアのような人たちが育成されていました。結核に罹患して働き手が奪われ家庭が崩壊する現実だとか、治療脱落すると薬剤耐性結核が出やすくなりますが、それを診断するための検査をおこなう設備が整備されていない。診断されても薬の継続的な供給が続かなくて治療が困難になるなど、日本では想像もつかない現状がありました。治安上も安全確保が難しい現場に行かせてもらい、現実を見ることができたのは貴重な経験でした。

WHO東地中海地域事務局でお世話になった先生方との一枚(宮野氏は左から1人目/宮野氏ご提供)
国際保健医療協力研修、パキスタンにて。州の結核対策プログラムスタッフ達と(宮野氏は前列中央/宮野氏ご提供)

― もうその段階では英語で仕事をしなければなりませんが、英語はどうやって身につけられましたか。

私は帰国子女でもない、純粋に日本の英語教育を受けて育った人間なので(笑)、細かいことはうまく伝えられなかったり、まだこの段階ではたどたどしかったでしょう。いずれ国際保健の仕事をしたいと思っていたので、学生時代からラジオ講座を聞いて勉強するとか、研修医の時も外国からの研修医師と積極的にコミュニケーションするようにしたりして、だんだん慣れていったという感じでしょうか。後期研修を終えて、タイへ臨床熱帯医学の勉強に1年留学をしますが、そうなるともう英語で勉強しなければいけませんし。

― そのあと“霞ヶ関”へ出向します。

タイ留学のあと国際医療協力局へ採用してもらうと、当時の上司から、患者さんを直接診て治す臨床の経験しかないから、公衆衛生の実践を勉強しろと、厚生労働省の結核感染症課へ結核専門官として出向します。日本の結核対策を、感染症法という法律の枠のもとでどう動かすのか見てこい、と。臨床医としては使える治療があるなら患者さんに施したいと思うものですが、保険制度や財政の枠があり、どんなに効果があるとわかっていても使えない治療法があることもあります。臨床医で病院の中だけ見ていると、そういうことは知ることができないですよね。両方を見られたということは、そのあとの海外での仕事でも役立つ視点になりました。

海外を渡り歩くなかで

― 本格的な海外での仕事は、ザンビアからですね。

JICAから派遣されたザンビアでは、保健省の人と、結核やHIVの診断や治療のプログラムを地方に届けるシステムをどううまく動かすかに取り組みました。結核やHIVの罹患率が高いザンビアも、首都や都会はお医者さんもおり薬もあり、検査なり治療なりができるのですが、地方の末端には医療サービスが届かない。地方の行政単位の中心都市までは薬や検査が届いても、その先がともかく広い。

悪路の先にあるヘルスセンターを巡回中。ランドクルーザーは巡回に必須(ザンビア/宮野氏ご提供)

病院へアクセスしてもらうのも大変で、各地域にあるヘルスセンターを活用することにしました。でも、そこに医者はおらず、いるのはナースか、サブクリニシャンの場合がほとんどです。そこで中心地の病院から地域のセンターへ、医療サービスを提供するヒト、検査や薬を届けるために定期的に巡回させる仕組みを、保健省と協力して3年かけて立ち上げました。

ザンビアは政治的に安定し穏やかな国民性で、働きやすい国でしたし、非常にやりがいがありました。遠い地方に現地のスタッフとガタガタ道を揺られながら通ったり、はじめてサービスが届いたとき人びとが喜びのあまり踊りだしたり、印象に残ることもたくさんありました。他国の支援が首都や大都市に偏る一方、JICAの人と地方現場に張り付くような活動を泥臭く展開できたことは、いまでも自分の礎になっています。

村での聞き取り調査の様子(ザンビア/宮野氏ご提供)
ヘルスセンターでスタッフと協議(ザンビア/宮野氏ご提供)

― パプアニューギニアやミャンマーでも仕事をされました。

WHOのパプアニューギニア事務所で、結核やHIV、性感染症、肝炎対策の担当官として、保健省の政策づくりを手伝ったり、対策の潮流をつくる業務をしました。ザンビアではJICAで日本のお金でやっていましたが、WHOの仕事はいろいろな国のお金が入っています。各国の思惑を調整する難しさもありましたが、そういう国際調整の現場に興味があって応募した仕事でした。都市部では“窃盗団”、フィールドにいくと“山賊”に狙われるなど、独特の治安の悪さによる苦労もありました。

地方の医療従事者にHIVや結核対策研修を実施(パプアニューギニア/宮野氏ご提供)

ミャンマーへはまたJICAから、保健スポーツ省での感染症対策アドバイザーとして、結核やHIVを含む薬剤耐性対策で赴任したのですが、3か月後には新型コロナウイルス感染症の流行期に突入したため、その対策支援に多くの力を注ぎました。しかしながら、その後、政変が起こって帰国することになってしまい、今でも大変悔しい思いです。

低・中所得国にはときに支援依存的な面を見ることがありますが、2年という短い期間でしたがミャンマーの人には自立志向を感じました。過去の軍事政権のとき先進国からの経済制裁に苦しみながら、現場では政府を頼れない、自分たちでどうにかしなきゃ、という気風があるのかもしれません。ふたたび政治的に困難な状況になってしまっていますが、できる限り支援を続けていきたいと思っています。

ラボのスタッフ達とデータを見ながら対策を協議。(中央が宮野氏)(ミャンマー/宮野氏ご提供)
ミャンマー保健スポーツ省から新型コロナ支援に対する感謝状を受け取る宮野氏(宮野氏ご提供)

― こうして2008年からでも外国暮らしを転々としながら、なんで自分は今この国にいるんだろう、そろそろ落ち着きたいなぁ、なんて思ったりしませんか? 私が英語もできないドメスティックな人間だからですが(笑)。

僕はその逆で、海外のいろいろなカルチャーを見たり、いろんな国、多国籍な人のなかで働いたり刺激を受けることに、楽しさやワクワクを感じるタイプなので、これという迷いは生じなかったんです。あと、国際医療協力局という日本国内の所属先があるので、国内外を数年ごとに出入りしながら、国際保健の動向や潮流、低・中所得国における現状の両方を把握して、課題解決のための日本の技術支援を実践できるというのは恵まれていると思っています。

外国ではいろいろおもしろい経験をしますし、住血吸虫にかかったこともあります(笑)。不慣れな国で現地の人にサービスを届けるとき、「要」になるのは現地のNGO、市民社会のかたですね。省庁での仕事だけだと現場を見ることが難しいので、NGOの人から現場の実情を聞く。それも複数の立場から聞くようにしていました。僕はあまり想像力がなく、現場を見ないと動けない不器用なタイプでして(笑)、逆にいろいろな人と出会うことを大切にしてきました。

いつも現場の課題を教えてくれたヘルスセンターナース、ボランティアと(ザンビア/宮野氏ご提供)
村で現状調査中に子ども達と(パプアニューギニア/宮野氏ご提供)
WHOの同僚達との一枚。宮野氏は左から2人目、左から1人目はグローバルファンド技術評価委員の永井氏(パプアニューギニア/宮野氏ご提供)

いい大人が泥臭く話し合っている

― 昨年からはグローバルファンドの技術審査委員をお務めです。これまでもいろいろな先生方から、ホテルに缶詰にされての審査の苦労を伺ってきましたが、技術審査委員会(TRP)もコロナ以後はオンラインになったそうですね。

われわれはオンラインしか知らない委員なのですが、審査の流れはいっしょのようです。各国からの申請書がオンラインで送られてきて膨大な量の文書を一生懸命読み、自分たちのチームや、ジュネーブの担当者とのミーティングがあり、コメントをまとめ、それを申請国に戻したり。日本時間では夜の8時ぐらいから始まり、最近はやり方にも慣れてきて午前1−2時ぐらいに終わりますが、最初は事務局も慣れてなくて、明け方4時ぐらいまでかかっていました。欧州勢は午後、アメリカ勢は早朝にあたるようですが、アジアは夜中になるのが大変です。

コロナ以前はスイス・ジュネーブのホテルで技術審査が行われていた。写真は2017年のTRPの集合写真。(The Global Fund / Kevin Keen)

― お時間の苦労以外では。

オンラインだと他のTRPメンバーとなかなか業務以外の交流が取れず、親しくなることが難しい環境ですが、結核専門家のチームリードを拝命(おそらく日本人で初めて)したということもあり、チームのマネージメント、他専門家チームとの合同会合の実施などなど、審査以外の業務を通した交流ができる分、メリットかなと思います。もちろん専門分野に関する審査やディスカッションでも、みな高い競争率の中で選ばれた専門家ということもあり、一緒に働いていて気分の良いことが多いです。

― 審査委員は宮野さんをはじめ優秀な人ですが、同時に、エリート意識が先走って、申請書に綴られた現地の人の切実な声や、素朴な思いまで酌めているのか。科学者の目で切り捨てることはないのか。意地悪く聞きますが、いかがでしょう。

私もかつてTRPにそういう印象をもっていました。みな頭でっかちで学問的なことしかわかってないんじゃないか、と。しかし、いざ自分が参加してみると、そういう人がゼロだとは言いませんが、多くの方は深い知識を持ちながらも現場経験の豊富な人たちばかりなんです。先進国にいて議論ばかりしている人じゃなく、現地でプロジェクトを動かした経験がある人だったり、研究者やNGOの人だったり。現地国からのメンバーもいます。技術をよく知りながらも、そのままこの国で実施するのは難しい、こういう背景のなかでこうしたらいいのではないか、こう申請の方向を変えたらどうか……。行ったことがない国の審査ですから完璧とはいえませんが、現場経験をベースに想像力を働かせながら、届きにくい人にサービスを届かせるために議論や審査を真剣にしています。偉ぶる人もおらず、いい大人が泥臭く話し合っている感じ。それが心地よいです。第一、あまり頭でっかちなことばかりを言うと、つぎの審査には呼ばれなかったりもするようですしね(苦笑)。

グローバル・ヘルス・セキュリティへ寄与するグローバルファンドの役割

― 並行するコロナの対応から、(特に現場での)結核やエイズ対策に活かせることはありますか?

新型コロナウイルス感染症という急性感染症と、結核やエイズという慢性感染症で、疾患としての相違や具体的な介入は異なる部分もありますが、感染症対策を支えるメカニズムを強化していくという目標は共通する部分も多いでしょう。疾患を予防・診断し、診断された場合には適切な治療ケアを含む保健医療サービスを提供したり、適切な公衆衛生対応を取る、という流れは変わりません。またそれを支える保健システムを強化することで、ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(UHC)やヘルスセキュリティを実現するということも同じです。なので、新型コロナと今までの結核やエイズ対策は、相互補完的に活かせる状況にあると思います。その実現のための国際的な資金再配分メカニズムとしてグローバルファンドは大きな貢献をしてきており、まだまだギャップはありますが、資金は十分に現場に流れてきているといえます。

しかし、現在、新型コロナウイルス感染症対応に多くの保健医療人材やボランティア人材が投入されていることもあり、結核やエイズ対策が影響を受けています。特に検査診断の減少にそれが表れています。どのように限られた人材で検査診断を効率的に行って新たな感染者を見つけ出し、きちんと治療ケアに結びつけていくかについては、各国で取組がなされており、そこから学びたいと思っています。

― 最後に、今後グローバルファンドの果たすべき役割について、ご提言いただけたらと思います。

インタビュー中の宮野氏

よく「グローバルファンドは三大疾患対策だけでしょう?」と国際保健や感染症対策に関わる人たちに言われることがありますが、グローバルファンドを通じて、低・中所得国におけるユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(UHC)やグローバル・ヘルス・セキュリティ(GHS)の実現に貢献できていることを強調しておきたいと思います。

UHCとGHSは保健医療サービス提供および公衆衛生対応における2つの大きな目標であり、相互依存的な関係にあります。

たとえば、UHCにより保健医療サービスへのアクセスを向上させることで、GHSのための感染症の早期診断および公衆衛生的対応を迅速に進めることができます。また、おなじくUHCによるファイナンシャルプロテクションにより個人が貧困に陥るのを防ぐことで、貧困という社会的健康決定要因による感染症発生のリスクを抑制することもできます。

逆に、UHCによって個人がコミュニティや国内で保健医療サービスへアクセスすることが保障されていない場合、今回の新型コロナウイルス感染症のように、国を超えたレベルで拡大するリスクも高まり、GHSが脅かされることになります。

グローバルファンドは日本政府が設立に深くかかわり、多くの拠出をしている基金です。国際保健分野において日本が拠出する資金を効果的に活用し、必要な人に届くサービスを実現するためには、マルチへ拠出した資金を、現場のバイで有効活用できるような、マルチ・バイ連携が調整され、戦略的に運用されるようなメカニズムも必要かなと感じています。技術審査委員会にかかわることも、その一端に貢献できると思いますので、今後もグローバルファンドを支援、活用する日本人が続いてくれることを期待しています。

インタビュアー
FGFJ レポート編集協力エディター
永易 至文

*インタビューは2021年8月3日、オンラインで実施しました。

 

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グローバルファンド日本委員会(FGFJ)では、グローバルファンドと何らかの関わりのある日本人をインタビューし、「日本人(わたし)とグローバルファンド」というコラムでウェブサイトに掲載しています。バックナンバーはこちらのページからご覧ください。

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