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日本人とグローバルファンド vol.1 井戸田一朗氏

2018年4月6日
日本人とグローバルファンド vol.1 井戸田一朗氏

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このお金を無駄にしてはいけない、人の命を救いたい。
心はみな一致していました

元グローバルファンド技術審査委員
井戸田一朗氏
(しらかば診療所院長)

フィジーでの経験が買われて審査委員へ

itodaグローバルファンドの技術審査委員を、2010年から2017年3月まで務めました。これは、世界中からグローバルファンドに寄せられる配分金の申請書を審査して採否を決める仕事で、グローバルファンドの事務局があるスイスのジュネーブへ行って審査会合に参加するほか、リモート審査といってメールや電話会議による審査などが年中ありました。通常、4年の任期ですが、6年半ほど続けたことになります。

私は医師として2003年に世界保健機関(WHO)に入ってフィジーに赴任し、南太平洋諸国の疾病対策―とくに結核対策に2005年まで関わりました。2002年にグローバルファンドが創設されて間もない頃で、フィジーをはじめ南太平洋15か国が連合してグローバルファンドの配分金を受けて結核対策に取り組んでいましたが、おおらかなお国柄の人たちで、WHO側でもその実行精度を不安に思ったのか、私のフィジーでの仕事の半分は、配分金の使途を考え、きちんと執行し、そのレポートを提出させ……といったことに費やされました。2005年に帰国後も、今度はフィジーが単独でグローバルファンドに配分金を申請するとのことで、そのお手伝いで2007年に、フィジーに戻った経緯もあります。

そうした私の経歴が買われて、外務省の国際協力局の方から技術審査委員の公募に応募しないかとのお声をかけられ、2009年は採用されなかったのですが、2010年に630人応募した中で、26人の採用枠に残りました。グローバルファンドにこれだけ日本がたくさんお金を拠出していながら、その配分先を日本人も知らないところで決めているのはいかがなものか、との思いもありました。同時に、グローバルファンドに関わり続けることで、私も世界の疾病対策の一流の人たちとずっと関係を持ち続けることができたのは、私のなによりの財産ですね。

 

変遷を重ねたグローバルファンドの組織

ここで簡単にグローバルファンドの仕組みをお話ししておきましょう。

事務局はジュネーブにあって、700名ほどの若いスタッフが世界中から集まっています。トップにある意思決定機関の理事会には、ドナー側からは先進国政府代表、民間財団、民間企業。事業実施側からは、途上国政府代表、途上国NGO、先進国NGO、感染者コミュニティの代表。そのほか議決権のないオブザーバー理事としてWHOや国連合同エイズ計画(UNAIDS)が加わっています。日本は先進国政府代表の一つですし、先進国NGOとして日本のアフリカ日本協議会が参加した年もあります。感染者代表は、HIV、結核、マラリアの当事者団体から選出されています。

グローバルファンドへは、先進国からの拠出金のほか、民間財団や企業からの寄付もあります。日本政府は28億ドルを拠出していますし、ビル&メリンダ・ゲイツ財団も一国家並みの寄付をしています。これをどう分配するか、です。

世界中から寄せられる申請書を審査するのは、技術審査委員会という第三者機関です。登録者は100人近くいるなか、会議へ赴いて実際に審査に参加するのは40人ぐらいでしょうか。審査の公正性を維持するため、事務局がつねに目を光らせていて、最近その国の疾病対策に実際に携わったことがある人は関われません。資質的に問題のある人やチームワークのとれない人もだんだん淘汰されてゆくようです。

申請ができるのは、世界銀行による所得階層(中低所得国)の国ごとに組織される、政府(保健省)、NGO、疾病に影響されている人たち、学術機関、支援に入っている国連機関や国際NGOなどから成るチームで、CCM(国別調整メカニズム)と呼んでいます。CCMに入っていないNGOが申請するのは、たとえば、戦争状態で政府が崩壊している状態とか、政府に迫害されている集団への支援とか、かなりレアな場合にかぎられます。

CCMのもとにPR(Principal Recipient受入責任機関)―お金を受け入れて、それをプロジェクトの実施機関に配分する中間チェック機関が組織され、その国の財務省やNGOなどがこれを担います。NGOがPRをやるのは名誉で、争奪戦になりますが、実際はかなり大変な仕事です。

申請書はCCM単位で提出されますが、実務的にはPRが書くことも多いです。といっても、途上国が良い申請書を書くのは難しく、実際はコンサルタントを雇うわけですが、お金を出して腕のいいコンサルタントを雇った国が配分金を得る一方、貧困で本当にお金が必要なのにコンサルタントを雇えず良い申請書が書けず、配分金を逃す現実もありました。ともかく書類審査のみで、おまけに年に1回。この一度のチャンスを逃すと、向こう5年、干上がってしまうというわけです。

ところが、2008年から始まったリーマンショックでお金が集まらず、2011年には予定されていた資金分配ができずグローバルファンドは存続の危機を迎えます。トップが辞任し、大胆な組織改革が行われ、2014年から新規資金供与モデルという新体制が取られました。これは、

  • これまで上限が無かった申請額に上限額を決めて財政の見通しを立て、審査を年4回に増やす
  • グローバルファンド事務局内にマネジメントやファイナンス専門家からなるカントリーチームを組織して、担当国との対話を重視し申請書の作成に関わらせ、審査の通過率をあげる

というものです。一回あたりの分配額は減りましたが、もらえる確率が増し、実際の活動や各国での計画がやりやすくなったわけです。現在も、このやり方が続けられています。

 

睡眠時間3時間、10日間つづく審査会合

こうして世界中から集まった申請書を審査するのが、われわれ技術審査委員の仕事です。審査の状況についてお話しを進めましょう。

審査委員は審査の中立性の観点から、担当国のことを知らない、係累がない人が当たります。事前情報がない国の、英文で150ページ近くもぎっしり書かれた申請書を何冊も渡されるのです。国の状況から始まり、課題は何で、これまでどんな対策がとられ、しかし現状はどうで、それはどこに原因があり、それをどう改善させるのか。申請プロジェクトは3年単位で計画されており、医療技術面はもとより、ファイナンスの視点や政策面からの検討、グローバルファンドのお金をいくら、どこに投資すれば、罹患率が何パーセント下がるのか、死亡率がどう下がるのか、どういう効果が上がるのか、その費用対効果、継続性などこと細かく書かれています。

こうした申請書は、コンサルタントを使って良いことばかり書いてある面がありますから、事務局からの参考資料はもちろん、WHOのウェブサイトから関連資料をダウンロードして対比して読んでみたり。そうしないと全体像が見えません。

読んだ結果を翌日午前中に、各申請書に割り振られた4人の審査員による小グループミーティングでガンガン議論し、GO(採択)かNO GO(不採択)か条件付きGOかを決めてレポートを作成。それを午後の全体ミーティングにかける。すると他のメンバーからワンワン突っ込みが入る。ようやく見出した統一見解を踏まえて修正したレポートを事務局へ提出し、またしてもその晩、つぎの申請書を読む。これが10日間近く続くのです。審査員の平均睡眠時間は3-4時間、ひどい会議ですよ。

新規資金供与モデルになって審査が年4回に増えたので、申請書数は減って少し楽になりましたが、年に一度だったころは、読む数たるや膨大です。一晩で2国、ときには3国、当時は5年単位の計画書を、泣きながらでも読むしかありませんでした。

小グループでも全体ミーティングでも、議論は毎度、侃々諤々。この国にお金を出して、本当に課題が解決できるのか? いや、ここで見捨てたらこの国はどうなる? 公平な判断をしなければいけないので、他国との対比上、ときにはシビアな決断をする場合もありました。

 

シビアな議論を重ねた仲間たち

HIVと結核は近接しており、HIV陽性者は結核で亡くなることが多いので、HIVと結核はセットで審査することになっています。ある年、ある国の申請書では、エイズ対策は素晴らしいのに、結核対策に致命的な欠点がありました。しかし、ここで不採択にしてこの国にHIV対策のお金が行かないと悲惨なことになる、エイズ専門家はみな反対しました。しかし、われわれ結核専門家の意見でその申請を落としたことがありました。無理に採択してお金をつけても、結局無駄に終わることが目に見えていたからです。しかし、それは大変な議論でした。ただ、このお金を無駄にしてはいけない、人の命を救いたい、その理念ではみな一致していました。

私たちが採択にかかわった国で、そのプロジェクトがその後どうなったのかを見に行く機会はこれまでないのですが、とても気にはなっています。審査委員は卒業しましたが、ひそかに心配しています。

一方、忘れられない思い出もあります。2012年、私にとって2回目の審査会合でした。ミネラルウォーターで名高いエビアンのホテルで開かれた審査会合も、10日間、それはしんどい会議でした。最後の夜は事務局がレセプションを用意してくれるのですが、そのあとテラスでだれかがワインを飲み始め、そこにみんな集まり、だんだん盛り上がり、笑うは、大声あげるは、グラスは割れるは、ついに大騒ぎになったのです。でも、ホテルのスタッフが、われわれがどんなに苦労していたかをよくわかってくれていて、夜中の1時まで騒いでいても注意もせず、そのままにしてくれました。世界から集まった委員が互いに健闘を讃えあったあの夜が、いまも懐かしいですね。

 

途上国の選手がやってくる向こう側への想像力

日本はグローバルファンドにたくさんお金を拠出し、かかわっている専門家もたくさんいる一方、国内でその認知や理解がないのは、残念なことですね。グローバルファンドが何をしているのかが、わかりにくいせいかもしれません。また、途上国の保健分野で今どういうことが起こっているのか、日本にいるとなかなかイメージがしづらいし、情報もない。

たしかに、日本にいれば医療であれ日常生活であれ、なんでもそろうし、人びとはまじめで仕事はスムーズに進む。なにごとにつけ居心地がいい。なにを好き好んで海外へ、途上国へ、行かなければならないのか。

でも、私はたまたま現地へ赴き、現地の現実を見てしまい、途上国にはこんなに問題がある、なんとかならないのか、という思いを抱いてしまいました。過酷な現実と日本の快適さ――もちろん私は日本でクリニックを開業し、こちらにも私を必要とする患者さんがいるという現実もあるわけですが――私のなかでも二つに引き裂かれています。そのなかでできることは、こうして機会があれば、グローバルファンドについて私なりの視点と経験でお伝えすることかな、と思っています。

東京オリンピック・パラリンピックでは、途上国からも選手が来る。この選手の向こうにはどういう現実があるのだろう。そんな想像力を持ってもらえると嬉しいですね。また、医療の立場では、研究者にしろ臨床医にしろ、自分のやっていることがどう途上国に応用できるのか、そういう視点をもっていただきたいですね。感染症って、一国だけでどうにかなるものではないですから。

(2018年1月12日 しらかば診療所で)

 

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グローバルファンド日本委員会(FGFJ)では、グローバルファンドと何らかの関わりのある日本人をインタビューし、「日本人(わたし)とグローバルファンド」というコラムでウェブサイトに掲載しています。バックナンバーはこちらのページからご覧ください。

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