日本政府代表団の一員として、2016年6月8日から10日に行われた国連総会エイズ・ハイレベル会合に参加した(特活)エイズ&ソサエティ研究会議副代表の樽井正義先生に、会合の争点や成果、日本政府代表団への評価などについてお話をうかがいました。(聞き手:グローバルファンド日本委員会事務局長 伊藤聡子)
— 6月8日から10日までニューヨークで開催された国連総会エイズ・ハイレベル会合に、政府代表団の一員として参加されました。一番の成果は何だったのでしょうか?
「エイズとHIVに関する政治宣言:HIVとの闘いを加速し2030 年までにエイズ流行を終息させる高速対応(Fast-Track)について」が採択されたことです。国際保健の脅威となるエイズ流行の終息は、2015 年に採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」に示された目標(SDGs)の再確認です。また、高速対応―2020年までにHIVの新規感染と死亡を50万人以下に抑制、差別とスティグマを解消、検査と治療を普及―は国連エイズ合同計画(UNAIDS)が掲げる方針を支持するものです。そのための資金調達の前倒しが要請され、グローバルファンドには一層の貢献が期待されることになりました。
— 長年エイズ分野の国際会議にかかわってきたお立場から見ると、大きな進展でしょうか?
必ずしもそうではありません。エイズに関する国連宣言は、15 年前の2001年、国連エイズ特別総会で初めて採択されました。そのときの最大の争点で、国際的合意が得られず、宣言への明記が見送られた言葉が二つありました。一つは「治療」です。高価で複雑な抗レトロウイルス薬治療は途上国では無理との見方が当時は支配的だったからです。しかし地球規模の社会運動はその実現を追求し、2005 年の宣言には「予防、治療、ケア、支援への普遍的アクセス」という表現が明記されました。
もう一つは、エイズ対策において「鍵となる人びと」(key populations)、つまり薬物使用者、男性とセックスする男性(MSM)、セックスワーカーという呼称でした。それが宣言に明記されたのはさらに6 年後の2011年の国連エイズ特別総会でした。ところが、今回の国連総会エイズ・ハイレベル会合では、鍵となる人びとを宣言で明示するかどうかと会合への参加が、改めて最大の争点となったのです。
— 一度明記された「鍵となる人々」が、なぜ今回また争点に?
UNAIDSが会合直前に発表した「世界エイズ最新情報」によれば、途上国で治療を受けている人は1500万人に達しています。アジア太平洋では、鍵となる人びととそのパートナーや顧客の新規感染が全体の6 割を占めていますし、薬物使用者が陽性者の半数を超える中央アジアと東欧(旧ソ連)では新規感染者の96%に達すると分析されています(下図参照)。
鍵となる人びとを社会の一員として尊重し、ともに闘うことは、国際社会の急務とされているのに、偏見と差別、そして「犯罪者」とされていることが、取り組みの障壁となっています。今回の会合では、そうした人びとの存在自体を否認し、対策に消極的ないくつかの国が、その呼称を宣言に明記することに改めて強く反対しました。
4月に公表された宣言の草案では鍵となる人びとへの言及が6 回ありましたが、採択された宣言では2 回にとどめられました。個別の呼称では、3 回だったMSM、セックスワーカー、2 回だったトランスジェンダーが、いずれもわずか1回に減らされました。薬物使用者は7回から2 回にされ、過剰摂取と感染の予防効果が実証されている包括的対策(情報と相談の提供、注射器交換、オピオイド代替療法、陽性者の抗レトロウイルス治療)については、「ハーム・リダクション」という定着した呼称の使用が避けられました。各国間で草案を推敲する交渉において、その内容は後退させられたと言わざるをえません。
— エイズ対策は市民社会が大きな力を持っている分野です。どのように反応したのですか。
国連の会議へのNGOの参加は、通常は経済社会理事会にオブザーバーとして登録されている団体に認められます。エイズ・ハイレベル会合のような特別の会合では、それ以外の団体へも呼びかけが行われています。しかし今回は、申請した22 団体の参加が断られるという事態が起こりました。いずれも鍵となる人びとを代表する団体であり、いくつかの国がその参加に反対したからです。当然のことながら、市民社会はこれに強く抗議する運動を展開しました。
— 日本政府代表団への評価をお聞かせください。
日本政府は、2001年の国連エイズ特別総会以来、NGO 代表を政府代表団の一員としており、今回も2 名のNGO 代表がエイズ・ハイレベル会合に参加しました。総会における日本政府代表の演説で、「対策の鍵となるコミュニティーの脆弱性に対処することが重要」であるという表現が盛り込まれたことは、画期的でした。これまでに4回、政府代表団に参加していますが、これまでにはなかったことで、ハイレベル会合に向けた準備のプロセスでの政府と市民社会の対話の産物だと思っています。SDGsに謳われている「誰一人取り残さない」世界の実現には、まさに「鍵となる人々」とともに闘うことが求められています。
樽井 正義 特定非営利活動法人エイズ&ソサエティ研究会議副代表、国際医療福祉大学成田看護学部教授 1970年慶應義塾大学文学部卒、76年同大学大学院文学研究科満期退学、ドイツ留学を経て、96年より慶應義塾大学文学部教授、2013 年より同大学名誉教授。専門は倫理学。2000年に、エイズ分野のNPOのネットワーク組織、特定非営利活動法人エイズ&ソサエティ研究会議に参加し、現在その副代表を務める。