世界基金/マグナムフォト共同制作写真展「Access To Life 命をつなぐ」の開催初日である9月5日(日)、ザンビアからキャロル・ニィレンダ氏を迎えたオープニング特別イベントを開催しました。
写真展会場内で14時から開始されたトーク・セッションには、立ち見を含み、40人を超える来場者が駆けつけ、大盛況となりました。
キャロルさんは、一般の日本人には馴染みの薄いザンビアについて簡単に説明した後、自身の過去から語りはじめました。「2001年に夫を亡くした後、体調を崩し、結核や皮膚がん(肉腫)にかかりました。これらはHIVによる日和見感染だったのですが、当時はまさか自身がHIVに感染しているとは思っていませんでしたし、検査も受けませんでした。医者だった兄に勧められて検査を受け、HIVに感染していることがわかったころには、すでにエイズを発症していました。その時、エイズ治療は有償で、家計を圧迫しましたが、仕事ができるほどの体力はありませんでした。貯金が底をつくと、薬の服用が出来なくなり、体調はますます悪化しました」。
「ここの写真に写っている人々と同じように、体重が落ち、歩けないほどに弱りました。家族に抱えられてようやくトイレに行く、といったような状態です。しかしその後、公立病院で無償のエイズ治療が受けられるようになりました。命が助かり、将来についての見通しも立つようになりました」。
キャロルさんが入院した病院には、HIV陽性者のサポートグループがあり、そこに参加するようになったことが、現在の活動の第一歩でした。「子どもが小さかったこともあり、生きて彼らを育てるために、インターネットなどでHIVについて調べ始め、勉強しました。ある日、インターネットで調べ物をしていると、トロントで国際エイズ会議があることを知りました。応募してみたところ、運良く参加できることになったのです。それが国際的な活動を始めるきっかけでした。その後は徐々に活動の幅を広げ、現在は感染者グループの代表として、世界基金の理事も務めています」。
彼女は自らの役割について「国際会議などに出て、HIV陽性者コミュニティの『声』を各国の政治家などに届ける『ブリッジ(橋渡し役)』になること」と述べ、「ここにある写真は、私の人生、私の体験でもあります。残念ながら何人かは亡くなっていますが、エイズ治療により、私と同じように、彼らが人生を取り戻していく過程をぜひ見て欲しいです」と言いました。また、三大感染症については「ここにいる皆さんのほとんどが海外に行ったことがある、とおっしゃっていましたね。日本ではエイズやマラリアは大きな問題になっていないかもしれませんが、空気感染する結核は、グローバリゼーションが進んだ現在では、皆さんとも無関係ではありえません」。
「私は幸運にも治療薬を手に入れることができましたが、それは世界基金のような支援組織があったからです。その支援の原資には日本の納税者からのお金も含まれています。例えば私の息子と娘が進学したり就職できたりするのは、皆さんお一人お一人の支援のおかげでもあるのです。日本の皆さんにとても感謝しています」。
トーク・セッションの締めくくりとして、キャロルさんは次のようなメッセージを日本にいる人々に送りました。「三大感染症は人類全体、私たち全員に関わる問題で、一人ひとりに真摯に考えて欲しい。いま支援を打ち切り、これまでの成果を台無しにしてはなりません。これからも世界基金への支援を続けていただけるよう、日本の皆さんにお願いしたいと思います」。
キャロル・ニィレンダ
ザンビア・エイズ結核マラリアのためのコミュニティ・イニシアティブ(CITAM+)ナショナルコーディネーター、世界基金理事
ザンビアの「HIV/AIDSと共に生きる女性連合」の創設者並びに暫定議長。世界エイズ・結核・マラリア対策基金の理事会において、感染者を代表する理事を務めるほか、ストップ結核パートナーシップ調整委員会 (Stop TB Partnership Coordinating Board) においても結核患者を代表するなど、国際的なレベルで感染症対策のアドボカシーにかかわっている。自身がHIV陽性であり、HIVを原因とするカポジ肉腫の寛解(好転しほぼ消失した状態)、またHIVと重複感染した結核を克服した経験から、ザンビアのエイズ対策やグローバルなエイズ対策に結核アドボカシーを導入した活動家として知られる。
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