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グローバルファンドのサンズ事務局長 医療サイトへの寄稿で、新たな「パンデミックへの備えと対応」の議論の方向性を懸念

2021年7月9日
グローバルファンドのサンズ事務局長 医療サイトへの寄稿で、新たな「パンデミックへの備えと対応」の議論の方向性を懸念

グローバルファンドのピーター・サンズ事務局長による寄稿が医療系メディアのSTATに掲載されました。G7をはじめ、新型コロナとの闘いから将来のパンデミックへの備えに議論の関心が移行するなか、エイズ、結核、マラリアといった既存の「パンデミック」との闘いをなおざりにするべきではないと説いています。以下リンクよりご覧ください。仮訳を以下に記載しています。


Why aren’t diseases like HIV and malaria, which still kill millions of people a year, called pandemics?
By Peter Sands

STAT 6 July 2021


[仮訳]

HIVやマラリアのように、いまだに年間何百万人もの人々が亡くなっている病気が、なぜパンデミックと呼ばれないのか?

ピーター・サンズ 世界エイズ・結核・マラリア対策基金(グローバルファンド)事務局長

2021年7月6日 STAT

新型コロナウイルスのワクチン・ナショナリズムや医薬品の寄付といった盛り上がりの影に、根本的な問題が隠れています。何をもってパンデミックとするか、その定義の公平性という問題です。これは、「パンデミック」という用語の単なる解釈の問題ではなく、誰が生きるか死ぬかを左右する問題なのです。

高所得国ではワクチンの接種率が高く、国民は徐々に通常の生活を取り戻すことができるようになりました。G7諸国の政府の関心は、新型コロナとの闘いから将来のパンデミックへの備えに移行しています。この機に、将来の脅威から身を守ろうとすることは理にかなっています。

しかし、所得が高くないその他の国々にとっては、これは過去に起きたことの繰り返しのように映ります。パンデミックが高所得国の人々の命にとっての脅威でなくなると、危機感は低下し、関心が他に移り、資金の流れは縮小します。これは、エイズや結核といった既存のパンデミックで過去に起きたことです。つまり、豊かな国では、生命への脅威を封じ込めるために断固たる行動がとられましたが、その後、より貧しく脆弱な国々では脅威が長引き、何百万人もの命が失われているのです。

今年のG7会合は、後にエイズと呼ばれるようになった病気の最初のクラスターの発表からの40周年と重なりました。このエイズのパンデミックと40年も闘い続け、3400万人以上の人々が命を落としたことを考えるだけで愕然とします。高所得国では、その存在すら忘れかけられている結核は、今でも年間約140万人もの死者を出しています。結核は、新型コロナの発生まで死者数が最も多い感染症であり、新型コロナが消えた後もその座を維持するでしょう。

エイズ、結核、マラリアが多くの国と地域で毎年何百万人もの命を奪っているという事実があるにもかかわらず、これらの病気はもはやパンデミックとして語られることはなく、エピデミック(※1)、またはエンデミック(※2) と呼ばれています。このような言葉の使い分けは非常に憂慮すべきことです。なぜなら、(この場合)エピデミックとは、豊かな国ではもはや人々を死に至らしめないパンデミックを意味し、またエンデミックとは、世界中で排除可能になったもののまだ排除されていない感染症を意味してしまうからです。

エイズ、結核、マラリアは、「単なる」エピデミックやパンデミックと名付けられるべきではありません。これらは、豊かな国では打破できたパンデミックです。それ以外の国で持続している状態を許すかどうかは、政策上の選択であり、予算措置上の選択なのです。

低・中所得国は今、三大感染症で起きたことが新型コロナでも起きるのではないかと懸念しています。この新しいウイルスがエンデミックになりかけていると人々が話し始めたとき、私のなかでは警鐘が鳴りました。

パンデミックへの備えと対応に関する独立調査パネル」、「パンデミックへの備えのためのパートナーシップ」、「G20ハイレベル独立パネル」(※3)などの権威ある機関から、パンデミックへの備えと対応のために新たなアプローチや資金調達の提案が相次いでいることも、私の懸念に拍車をかけています。将来の感染症の脅威から身を守るために巨額の新しい資金を動員する一方で、新型コロナ、エイズ、結核、マラリア、ポリオ、エボラ、肝炎、その他の長いリストに名を連ねる脅威との闘いを、資金不足で未完のまま置き去りにするのでしょうか?さらにひどいことに、これら既存のパンデミックを終わらせるための資金を、新たなパンデミックを防ぐための資金に転用するのでしょうか?

これらのイニシアティブは、パンデミックと闘うためのツールへの公平なアクセスを重視している割には、根本的な問題に対処していないように思います。すなわち、豊かな国の人々が犠牲になった場合のみをパンデミックと定義する限り、パンデミックへの備えと対応とは、本質的に不公平なのです。パンデミックと闘うためのツールへの公平なアクセスは重要ですが、同様に、何をもってパンデミックとするかを公平に定義することも重要ではないでしょうか。

そのための代案はあります。高所得国の人々にとって潜在的な脅威である将来の病原体に焦点を絞るのではなく、あらゆる場所にいるすべての人々を、(既存の)致命的な感染症とまだ見ぬ病原体から守る、と世界の国々が誓うことです。これは道義的な責務であるだけでなく、現実的にも政治的にもはるかに効果的なアプローチです。将来の危機に備えるための能力、すなわち病原体を検出し、予防し、対応するための能力―例えば、疾病のサーベイランス、供給網、生産量拡大など―は、既存のパンデミックと闘うために必要な能力でもあります。これらの能力を構築し「暖めて」おく最善の方法は、使うことです。鍛えている筋肉は放置した筋肉よりも強いのと同じことが言えるのです。

さらに、将来の脅威の多くは、既存の疾患に効果的に対応できていないことから生じる可能性が高いということも指摘したいと思います。新型コロナの変異株や多剤耐性結核からも明らかなように、これら疾患を放置すればするほど、すべての人により大きな脅威をもたらすことになります。

既存の疾患に対する闘いを加速することによって、(将来の)パンデミックへの備えを強化することは、世界の健康安全保障を活性化するためのこれまでの努力に立ちはだかってきた問題に挑むことになります。その問題とは、何も起こらなかったことをもって成功したかどうかが決まる課題に対し、どうやったら政治的意思と予算確保を持続させることができるか、という難しい問題です。人命を救うと同時に私たちの安全性を高めるという方が、より説得力があり、持続可能な提案です。また、これは正しいことでもあります。

どんなに裕福であろうと、どこに住んでいようと、私たちは同じ地球に共存しています。新型コロナは、共通課題であるグローバルヘルスへのアプローチを根本的に見直すきっかけになるでしょう。世界健康安全保障という古い概念を、パンデミックへの備えと対応という名前につけ変えるだけでは不十分です。気候変動が国際社会により大胆で包摂的な対応を求めているのと同じことが、パンデミックの脅威についても言えるのです。

今日私たちが直面している、そして明日も必ず直面するであろう致命的な感染症から、世界中のすべての人が守られるべきなのです。

 


※1 訳注:エピデミックの本来の意味は、ある地域におけるある感染症の発生件数が通常の期待値を超えていること。

※2 訳注:エンデミックの本来の意味は、ある感染症が同じ程度の発生率で長い間、ある地域に存在している状態。

※3 追記:G20ハイレベル独立パネルの報告書 A Global Deal for Our Pandemic Age は7月9日に公開されました。

 

参考のための仮訳であり、オリジナル英語を正文とする。

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