クリストフ・ベン氏インタビュー

この記事の掲載日 : 2012年11月27日(火) この記事のカテゴリー :


Share on LinkedIn

cbクリストフ・ベン局長は、2002年の世界基金の創設に理事として関わり、その後、世界基金事務局に入り一貫して渉外担当の局長として、資金調達や渉外を担当してきました。アフリカをよく知る医師であると同時に、国際社会と世界基金をつなぐ”外交官”でもあり、政治家から企業、NGOまで幅広いネットワークを持つベンさんに、世界基金設立時の秘話と、世界基金の運営における非政府セクターの役割、そして今後の展望についてお話をうかがいました。(聞き手:世界基金支援日本委員会事務局長 伊藤聡子)

 

タンザニアで始めた医療支援

― まず、世界基金が設立される前のお話からおうかがいします。もともとは母国ドイツのキリスト教系医師団に所属してタンザニアで医療に関わっておられましたね。

ベン: はじめてタンザニアに赴任したのは1988年、リバプールの医大を出てすぐの頃でした。当時、アフリカのエイズの存在は知られ始めたばかりで、ビクトリア湖周辺のごく限られた地域のみで流行していると言われていました。タンザニアの奥地まで感染が広がっているとは誰も思っていませんでした。しかし、持参した検査薬で自分の担当患者を匿名で調べたところ、何とすでに10%がHIVに感染していると判明しました。それは衝撃的な発見でした。その晩のことは決して忘れることができません。こんな遠い土地にまで感染が広がっていることはまだ知られておらず、大変だ、と直感しました。HIVはアフリカにとって致命的な影響があると感じた最初の瞬間です。しかし、まさかその後、自分の人生とは切っても切れない関係の病気になるとはその時はまだ思いも及びませんでした。抗レトロウィルス治療が導入されるのはまだまだ先のことで、なすすべもなく多くの患者を失いました。

 

抗レトロウィルスウィルス治療のはじまり

ベン: 多剤の組み合わせによる治療薬が始まったのは1996年で、私がタンザニアを去って数年後になります。ドイツにもどって臨床医として働いていた頃、初めて抗レトロウィル治療を提供できるようになり、何人かの患者を担当しました。完治はしないが、少なくともエイズの発症を遅らせることはできるようになったのですから、患者さんはもちろんのこと医療者にとっても劇的な変化でした。しかし、初期の療法では一日26錠もの薬を時間通りに服用し、その服用も食前、食中、食後と複雑極まりないものでした。また、患者一人の治療に年間20,000ドル(約160万円)かかり大変高価であったため、豊かな国でしか治療はできませんでした。薬の価格の問題だけでなく、複雑なエイズ治療の訓練を受けた医療者がいないことや設備・検査機器など保健システムが整っていないことも途上国で治療ができない背景でした。そうしている間に、アフリカでエイズが急速に広まり、貧富の差が命の格差になっていったわけです。服用しなければならない量は次第に一日に10錠、6錠と減っていきました。私は一人でも多くの患者に服用してもらいたく、薬を持って、ケニヤ、ボツワナ、ロシアなどを訪れました。これらの国でエイズ治療を導入できるかどうか実験する治療に加わりました。最初に治療を提供できるようになったのは、実は南アフリカのケープタウン郊外のクリニック―小さなコンテナの中に作られたクリニックでした。そこからすべてが始まったのです。しかし、価格があまりにも高すぎて普通の人には手が出せませんでした。

 

ターニングポイントとなった2000年

ダーバン国際エイズ会議 Photo credit: Dipity.com

ダーバン国際エイズ会議 Photo credit: Dipity.com

ベン: 流れが変わり始めたのは、2000年です。7月に南アフリカのダーバンで開かれた第13回国際エイズ会議は、途上国で初めて開かれた国際エイズ会議でした。

エイズがサハラ以南のアフリカで急速に拡大していたにも関わらず、治療へのアクセスがほとんどなかったため、その中心となる南アフリカで開かれたのです。ネルソン・マンデラ元大統領や多くの著名人、世界中の研究者や医師、NGOやHIV陽性者たちが声をあげ、世界に向けて人道支援の必要性を訴え、政治家のコミットメントを呼びかけました。 それに続くように開催されたのが、日本のG8沖縄サミットでした。感染症対策に追加的な資金を出す必要性をG8のリーダーが確認し、翌年にはコフィ・アナン国連事務総長が国連エイズ特別総会で国際社会に支援を呼びかけました。グローバルな新しい基金の設立など「夢をみているだけ」と言われることを承知で、アナン氏は夢の実現に真剣でした。沖縄に続くジェノバでのG8サミットで各国からこの基金に対する資金拠出が約束されました。そしてわずか半年で2002年1月に世界基金が誕生したのです。

 

世界基金のスタート:時間との勝負

― 世界基金が誕生した当時は、宗教系の団体の一員として世界基金理事会で先進国NGOを代表する理事でしたね。世界基金はどのようにスタートを切ったのですか?

ベン: 世界基金の設立には、それは大きな期待が寄せられていました。2002年1月末に、第1回目の理事会が開かれました。NGOの代表も議決権を持つ、今までになかった全く新しいガバナンスを持つ理事会で、雰囲気も新鮮でした。そして何よりも違ったのは、理事会が開催されている部屋の外には多くのNGOやメディアが詰めかけ、一刻も早い救命を叫び続けていたことです。理事会が議論に時間をかければかけるほど、その間にたくさんの人が亡くなっていくという緊迫感がありました。何カ国かの政府がスタッフを出向で送り込んでいる以外には事務局の組織もできていない状態でしたが、その理事会ですぐさま支援案件を公募することが決定されました。何しろ待ちに待った一刻を争う救命対策であり、時間との闘いでした。まず決断したことの一つは、支援先の国には世界基金のカントリーオフィスをおかず、各国の自主性を重んじるため、国内委員会Country Coordinating Mechanism(CCM: 国別調整メカニズム)の仕組みを作ることでした。支援を希望する国には、申請の条件として、政府だけでなくNGOや企業など民間も意思決定に参画するCCMを立ち上げ、このCCMで申請する案件を形成することを課しました。理事会が開かれたのは1月末ですから、締め切りの3月までのわずか6週間で、果たしてCCM立ち上げは可能なのか、申請書は提出されるのか、理事会メンバーも疑心暗鬼で、第1回はせいぜい数件の申請書が提出されるぐらいだろうと考えていました。しかしふたを開けてみるとなんと99カ国から300件以上の案件申請が送られてきたのです。いかに世界が世界基金を待っていたかを象徴する出来事でした。4月に開催された第2回理事会で、早速これらの案件を検討・承認し、すぐに次の第2回の公募が決定されました。今聞くと驚かれるかもしれませんが、2002年当時は時間との闘いでした。一日に何千という命が失われている中でいかに早く感染症対策を進めるか、スピードが一番重視されました。

 

― 最近、タンザニアを一個人として再訪されたとか。

Photo credit: The Global Fund

Photo credit: The Global Fund

ベン: つい最近タンザニアを訪問し、かつて働いていた地域に3週間滞在しました。
世界基金の者であるという肩書きは伏せて、あちらこちらを訪ね、状況が大きく改善されていることを目の当たりにしました。うれしかったですね。町から遠く離れた田舎の村でも抗レトロウィルス治療や結核のDOTS治療が受けられるようになっていて、治療薬も検査用の設備もありました。また普通の民家にもマラリア予防の蚊帳がつってありました。もちろん、昔働いていた病院には、世界基金からのグラント(資金供与)を期待させてしまうといけないので顔を出しませんでしたが。

 

世界基金における民間セクターの存在意義


ー世界基金は、官も民も意思決定に関わる仕組みを作った先進的な組織です。NGOや当事者の意見を聞く組織はあっても、議決権まで平等に持っている資金機関は皆無ではないでしょうか。感染症に限らずグローバルイシューを解決するために必要な試みではないかと思います。世界基金の意思決定をする理事会に、ドナー国政府だけでなく、資金を活用して感染症対策を行う途上国政府、先進国NGO、途上国NGO、感染者のグループ、企業、財団が議席を持っています。民間人も議決権をもって参加することの意義はどこにあるのでしょうか。

 

(企業について)

ベン: 世界基金は設立当初から企業のノウハウや専門性を導入してきました。一番象徴的なのは、マッキンゼーのアドバイスに従って現地監査機関(Local Fund Agent: LFA)の制度を導入したことでしょう。世界基金は事務局管理コストを最低限に抑えるため、支援先の国に事務所を持たず担当者もおかない組織です。そのかわり、LFA―多くは現地の民間監査会社です―が、きちんと事業が実施されているかを監査する仕組みを作りました。これは民間企業から得た知恵です。

ー民間企業の代表団が理事会で1議席を占めていますが、企業の視点が入ることの効果はどこにあるのでしょうか。

ベン: そうですね、企業の視点を代表して参加しているというより、企業の立場でエイズ、結核、マラリアとの闘いに関わってきて、個人的にこの問題に強い思い入れを持つ人が多いのだと思います。ですから民間セクター代表だからといっても我々と何も違わないということです。

ー政府であろうと、企業やNGOであろうと、三疾患対策と世界基金という新しい資金メカニズムが重要と考える、熱い想いを持つ個人が理事に選ばれているということですね。

ベン: 例えば、現在、企業代表団として理事を務めているのはアングロ・アメリカン社のブライアン・ブリンクです。彼は南アフリカのアングロ・アメリカン社で、保健担当上級副社長を務めていた人物ですが、鉱山会社の経営者として、自社の労働者がエイズやマラリア感染のリスク下にあり、彼らの健康状態と生産性は直結することを目の当たりにしていました。ですから、エイズを非常に真剣に受け止め、社内で上層部を説得して企業としてエイズプログラムを導入し、HIV陽性の従業員に対し会社負担で抗レトロウィルス治療の提供を始めました。2002年という早い段階の導入で、南アの企業の中で最も早いでしょう。そういう人が理事になっているのです。一般的には企業とNGOは相容れないと思われがちですが、こと世界基金に関する限り、企業とNGOの理事団には相通じるところがあります。最初はお互い敬遠する立場にありましたが、理事会の回を重ねていくうちに同じ目的に向かって協力できる仲間だということが判明しました。もちろん立場が違うこともありますが、総じて調整はうまくいっています。

 

(財団について)

ー民間財団が果たす役割はどうでしょう。グラント・メーカーならではのノウハウが活かされていることはあるでしょうか。

ベン: 民間財団からは人権問題への配慮、社会の隅に追いやられた人々への配慮について多くを学びました。その視点は今でも重視されています。ジョージ・ソロスがオープン・ソサエティ・インスティテュート(OSI)を立ち上げたのも世界基金設立と同じころですが、OSIは、世界基金が保健への投資を通じて途上国の民主化を推進していると評価してくれています。OSIから世界基金に対しての助成はありませんが、途上国内の世界基金国別調整メカニズムの組織基盤強化や人材研修に助成しているので、一種の補完関係にあります。国連財団も重要なメンバーです。世界基金の創設者の一人コフィ・アナン国連事務総長が、国連財団の創設者テッド・ターナーに世界基金を支援するよう依頼したのです。アナン事務総長は、感染症拡大の緊急事態に対応するには、国連内に基金を作っていては間に合わないし柔軟性がないと判断し、国連システムの外に世界基金を作りました。国連財団は、国連を支援するのが目的の財団ですが、こうした経緯により世界基金も国連と関連する取り組みとして協力してもらうことになったのです。米国政府へのアドボカシーのほか、米国内の個人が世界基金に寄付する際の受け皿になってもらっています。

ビル・ゲイツ氏と森喜朗元総理大臣(世界基金支援日本委員会最高顧問)photo credit: JCIE

ビル・ゲイツ氏と森喜朗元総理大臣(世界基金支援日本委員会最高顧問)photo credit: JCIE

そして、もちろん、ビル&メリンダ・ゲイツ財団が大きな存在です。ビル・ゲイツ氏が世界基金のサポーターの一人であることは皆様ご承知の通りです。同財団は民間拠出としては最大のドナーであり、また、財団関係者は世界基金理事会でも大きな役割を果たしています。

民間財団の代表団のメンバーは、それぞれ違った持ち味と自分たちの目標を持っていますが、独自の専門性を活用して世界基金の運営に貢献してくれています。世界基金は異なるパートナー、本来なら共通言語を持たないまったく異なる組織やライバルもつなぐ、従来なら考えられなかった新しいパートナーシップを構築しているといえると思います。

 

(NGOについて)

ー最後に、世界基金にとって重要なNGOの役割についてうかがいます。日本のNGOからも先進国NGO理事団に参加しています。もし、世界基金の理事会にNGOの強い存在がなかったら、実現していなかったであろうことを挙げていただけますか?

ベン: 多くのことが違っていたでしょう。最初に申し上げた通り、一刻の猶予もならないという緊迫感はNGOが一番強く持っていたものです。物事を早く決められたのはNGOの存在があったからだと思います。また、感染症に最も脆弱な人々―往々にして社会からは疎外された人たち―に支援が届くことを常に優先する姿勢は、NGOが最も強く推進してきたことです。また、需要に基づく(demand driven)資金調達―すなわち、すでに確保してある資金を分配するのではなく、各国が必要とする資金を国際社会から集めるという世界基金の本質も常にNGOが主張してきたものです。

 

世界基金のこれから

ーこれからの世界基金についてうかがいます。かつては不可能といわれた途上国での感染症対策を広め、この10年で870万の命を救うという大きな成果を挙げてきた世界基金ですが、開発援助そのものが大きく変化し、ニーズが変わって行く中で、今後はどのように対応していくのでしょうか。これから10年先、15年先の将来像をお聞かせください。

ベン: 過去10年の間に開発援助がどれだけ変化をもたらしたかに留意しなければなりません。三大疾患の対策面での劇的な成果だけでなく、多くの国での経済状況も様変わりしました。10年前は中国やロシアも低所得国であり、世界基金の援助は150カ国以上で必要とされていました。しかしそれらの国々の多くが経済成長を遂げ、世界基金の援助を卒業して自らの力で保健医療サービスを提供できるようになりつつあります。大変すばらしいことです。次の10年には、貧しい国に対してより集中的な支援が必要になると思われます。こうした時代の変化に合わせ、世界基金では今年一年かけて大幅な改革を行い、より野心的・戦略的になるために、自らの資金提供メカニズムにメスを入れて改善の努力をしてきました。透明性や説明責任の強化とともにリスク・マネジメントも見直され、来週には新しい事務局長が選出されます(注2)。従来は、一定の締め切り日を設けてプロポーザルを募集する「ラウンド(案件募集)方式」でしたが、今後は、年間を通じて申請を受け付ける方式が導入されます。これにより、実施国(受益国)は、自国の予算編成スケジュールとあわせてプロポーザルを提出することができるようになります。また、もともと大変スリムな組織でしたが、案件監理に全体の75%の人材を割り当て、担当者がきめ細かく実施国との連絡を図れるようシステムが改善されました。

 

ポストMDGs

ベン: 2015年がミレニアム開発目標達成の目標年ですが、私にとっては、2015年が大事なのではなく、人々が健康に暮らせることが大切です。2015年を過ぎたら次の目標を設定しなければいけないのではなく、三つの感染症がなくなるまでは更なる努力を続けていく必要があります。さらに言えば、人間にとってはどんな病気であっても必要な保健サービスにアクセスできることが大切であって、三疾患対策はそのためのとっかかりを提供しているに過ぎません。将来的には、三大感染症だけにこだわる必要はなく、世界基金のマンデートを広げる可能性も考えられるでしょう。どちらにしても世界基金は、これからも保健サービスの基盤を作り出すためのカタリスト(媒介)の役割を果たし続けるべきだと信じています。

ー今日は、どうもありがとうございました。

注1: アングロ・アメリカン社の事例については地球規模感染症パンデミックと企業の社会的責任三大感染症―エイズ・結核・マラリアに立ち向かう企業 』(JCIE, 2009年)を参照。

注2: 本インタビューは、マーク・ダイブル新事務局長選出の前週に行われた。

(2012年11月6日、東京の日本国際交流センターにて)